星崩しの積み木1

「だぁーっ!ダメか!」
握りしめていた剣を投げ捨てて、その場に倒れ込む。砂埃の舞う地面に突っ伏したはずだったけれど、すぐにその世界は姿を変える。シンと静まり返っ たシミュレーションルームに響く自分の荒れた息が恥ずかしくなり、一瞬息を止め、それから深くため息をついた。
宙を見る視線の端っこに、銀色の髪が流れて落ちる。足元に立ち止まったつま先から頭のてっぺんまでを舐めあげるように見ると、手が伸びて来た。
「俺の勝ちだな」
「つ、次は負けないからな!」
――三連敗。
心底悔しいけれど、それを顔に出すのはもっと悔しく感じた。掴んだ左手にほんの少し高力を込めて、それで済ませる事にした。
上がった息を整えながらその手を掴んで起き上がる。こっちは全力で走り回って汗までかいているって言うのに、英雄セフィロスの指先は熱一つ伝わっ て来ない程穏やかだ。
時々一緒に飯を食ったりすることはある。会えば会話をして、笑う事もある。けれど、近くに居たり居なかったりの差が激しいセフィロスの事を全て知り尽くしたわけではない。
もっと知りたいと思う。もっと相手をしてほしいと思う。
そんな事を口に出せるほどガキではないけれど、正直、そう思っている。

かすかに首をかしげながら俺を引っ張り上げ、投げ捨てた剣を拾えと顎で指示される。言われるがまま掴み上げ、背中に背負いなおした。
「動けるだろう?」
「あ、当たり前だろ!」
言葉少なにルームを後にする。フロアを歩く英雄の一歩後ろを黙ってついて歩きながらその背中から強さの秘密を探り当ててみようとしたけれど、床に 向かって滑り落ちる長髪が隠した背中から何か見えるような気にもなれず、すぐにやめた。
居たり居なかったり。
笑ったかと思えば、眉間に皺を寄せたり。
なんだ、俺と別に何も変わらないじゃないか。

「なあ、セフィロス……あのさ」
返事はない。
「携帯の番号、教えてくんない?」
足は止まらない。
憧れ続けた英雄は突然現れて、古くからの知り合いみたいな顔で俺に話しかけてきた。一瞬で召喚獣を葬り、何事もなかったかのように歩きはじめる。 その後ろをついて歩くので精いっぱいだったあの日から数週間がたったけれど、ようやく、それを口に出す事が出来た。
ゆらりと振り返り、穏やかに笑った口元が開かれる。
「何を話す」
「え……」
それまであまり言葉を発しなかったセフィロスが言葉を紡ぐ。
「構わないが……ザックス、お前は俺と何を話すつもりだ?仕事の話か?女の話か、それとも」
「……なんだよ、それ」
思った以上につまらない返しだな、と思った。そんなくだらない事を聞くぐらいなら、いっそ断ってくれたらよかったのにとすら思う。電話番号を聞く理由なんて一つしかないだろう。ただ、友達だと認識しただけの事。
わざわざ話す内容を確認してからじゃないと教えてくれない程、英雄ってのは生きるのが面倒なんだろうか。
「全部に決まってるだろ。仕事の話もするし、くだらない雑談だってしてやるよ。なんなら寝る寸前に子守唄だって歌ってやろうか?俺の歌を聴く以上、朝まで寝かせてやれねえかもしれないけど」
「……最後のは勘弁してくれ」
――ああ、笑った。
戦闘訓練では一度も勝ててはいないけれど、口でなら勝てる。そう確信した。取り出した携帯電話の頭を近づけても情報交換する。登録ボタンを押した瞬間にガッツポーズが出そうになったけれど、出来るだけクールに構えて礼を伝えた。
「さんきゅ。掛けていい時間帯とかあんの?」
「……別にいつでも構わない。出るか出ないかの保証は出来んがな」

午後からの訓練を終え、自室に帰るなりベッドに倒れ込んだ。深いため息をついて、それから服を脱ぎ捨てる。床に散らばった自分の服や靴を見返す元気もない程、対セフィロス戦の三連敗を引きずっていた。
まず間合いに入れない。近接すれば手足が出てくる。遠目から魔法を撃ったところで斬り伏せられて、まばたきした瞬間には至近距離で視線が合う。
「あんなの、勝てるわけねーじゃん……」
ごろりと寝返りを打ち、枕もとに投げ捨てていた携帯電話に手を伸ばす。ぽちぽちと適当にボタンを押し、交換したばかりの相手の名前を確認する。おもしろみのないメールアドレス、名前と番号以外、何も入っていない情報。
――ないなら、今から足せばいい。
発信ボタンを押した瞬間、心なしか心臓がドキドキし始めた。いつでもかけていいと言われた手前、何も緊張する必要なんてないはずだ。
十回ほどコールを聞き続けた所で飽きられて、パタリと折り畳む。残念ながら初めてのお誘いは、断られてしまったみたいだ。
「……なんだよ、出ろよぉ」
適当に投げ捨てて、もう一度寝返りを一つ。そのまま眠りの浅瀬に足を突っ込みかけて、慌てて起き上がる。最低限の生活をこなしてからもう一度横になろうと決めて、浴室のドアを開けた。


  *


エレベーターの扉が開く瞬間に、ソルジャーフロアへと飛び出した。遅刻ギリギリで間に合った招集時刻。こちらを振り返ったセフィロスの顔は、半ば呆れているようにも見えて恥ずかしい。
適当に謝りながら隣を歩き、統括の前に立つ。
「セフィロスは先日に引き続きの任務を。ザックスは新規の単発案件だ。よろしく頼むよ」
俺とセフィロスの前で腕を組み、難しそうな顔で指示を下す統括に相槌を打ちながら一通りの説明を聞いた所で敬礼、集合時刻までのわずかな時間に、 思いを巡らせた。
缶ジュースでも買いに行こうか。
それとも、同行する部下とコミュニケーションを取るべきか。
腕組みを組みながらフラフラと歩いていると、目の前に俺より背の高い長髪が立っている。
自由時間の消化方法が瞬時に決まった。手を上げて近寄ると、もたれかかっていた壁から背中を剥がしこちらに居向く。
「セフィロス!昨日電話出てくれなかっただろ!」
「……悪い、寝ていた」
「あんたさてはアレだな、掛けなおさないタイプだな」
「大事な用事ならもう一度掛けてくるだろう」
半笑いで返され、確かにそうだと頷いた。本当に大切な用事なら、何度だって出るまで掛けなおしていただろう。それをしなかったのはただ、なんとなぁく掛けたから。
それは間違いない。
「なー、セフィロス」
「なんだ」
昨日電話で聞いてみたかった事。
きっと直接伝えた方が、明確な返答をもらえるだろう。
「……どうすればアンタに勝てる?」
「そんな事が聞きたかったのか」
「悪いかよ」
片腕として使ってもらえている自覚はある。戦闘訓練ではセフィロス以外に対して敗北を喫したことはここ数か月ない。誰にも負けていない。だけど、 セフィロスを前にした時だけは、いまだに一度も勝てていない。
それが、ただ悔しい。
恥を忍んで勝てない本人に教えを乞う程度には、悔しい。
神羅の英雄がこちらを向く。さらりと靡いた髪がすぐにその背中に張り付く。パチリと会った魔晄の瞳。瞳孔が絞られた英雄の目に、自分の姿が反射する。
「絶望だ」
「ん?」
「強くなりたければ、絶望を積み上げろ」
口元は緩んでいるけれど、目元に違和感を覚えた。どこか冷めたような、諦めたような、少し冷たいような眼差し。それはつまりどういう事だろう。純 粋に努力をしろ、と言う意味に取っていいのかどうかもわからないまま、そのままの言葉を返す。
「……どういう意味?」
「自分で考える事だ」
明確に教えてはくれない英雄の言葉の真意を探る。視線を逸らして背を向け、そのままどこかへと歩いて去っていこうとする所を、再度呼び止めた。
「セフィロス、なー」
「なんだ」
「あ、あの、今晩……ちょっと付き合ってくんない?」
少し、どもってしまった。もう一度緩く笑ったセフィロスは返事をしてはくれないまま、今度こそその場を去る。完全にフラれたような気になって、思わず頭をかいた。

適当に時間を潰し、言われた任務を片づけた帰路。辺りはすっかり暗くなり、どんよりとした空には星もない。軽い疲労に見合った程度のため息をつきながら、誰もいない部屋に変える事に少しだけ寂しさを覚えた。
ポケットから携帯を取りだし、画面をのぞき込む。
着信、なし。
メール、なし。
通話履歴を表示し、一番最近書けた相手の名前を確認する。もう一度なんとなぁく掛けてみようかと思ったけれど、きっとまた寝ているだろうと思いな おし、ポケットにしまい込んだ。



* * *



準備にもたつく一般兵を急かし、押し込まれるようにして軍用車両に乗り込んだ。新しい長期遠征任務だと思うだけで心が躍る。隣には勿論セフィロス が居て、同行の一般兵の口数は少ない。居てもたってもいられずにせせこましい座席周りを動き回るたびに、セフィロスに制止される。
「少しは落ち着け」
「だって!」
「現地についてから思う存分やればいい」
「まあ、そうだな」
他愛のない会話。
中身のないやり取り。
そんなのを数時間続けているうちに、もう一度誘いたい、と思う気持ちは膨らんでいった。目の前にじっと座り続ける英雄の目は伏せられている。窓の 外を眺める一般兵の表情は、ヘルメットに隠されてよくわからない。俺自身はというと、はやる気持ちを抑えきれずに、また立ち上がって手足をぶんぶんと振り始めた。
「ザックス」
「ん?」
腕組みをしたままのセフィロスと視線がかち合った。
なんとなく察し、体を近づける。
「……」
「マジかよ!」
耳元で囁かれた言葉に思わず大声を出す。驚いた一般兵が首をかしげる。ガタリと車両が揺られた瞬間足がもつれ、誤魔化すように座席に座り込んだ。
この任務が終わったらまたしばらく遠くへ行くだろう。そう伝えられた。
英雄セフィロスは忙しい。
休む間もなく与えられた任務を忠実にこなし、数日間ミッドガルに滞在したかと思えば、また別れも告げずにそこを去る。その間に命を落とした兵士の 数を引いても顔色一つ変える事もなく、誰かが婚約したと聞いた所で小さく返事を返すだけ。その情のなさに冷たいと言うやつもいるけれど、変に別れを毎回惜しまれるよりは、ずっといいじゃないか。
よく考えても見ろ。
大手を振って出かけて行ったり全力で成婚祝いで歌って踊る英雄なんて、それこそ見たくはないだろう。 それでも。
「……ちゃんと帰って来いよ」
「ああ」
こちらが心配すれば、淡く笑って返事ぐらいはしてくれる。

ほどなくして目的地に到着した。そそくさと立ち上がった一般兵が、よろめきながら荷台を開ける。うっそうとした空の下、積み荷を一つずつ下ろす兵隊さんたちの動きは緩慢だった。数時間の道のりでガタつく道を走ってきたんだ、黙って座っていたら、それだけでも足腰に疲労がたまるだろう。
「悪いけど、もーちょっと頑張ってくれ。これが終わったら一時解散だ」
「はっ!」
トラックから降り、辺りを黙って見渡すセフィロスの隣に立つ。
大きな建物こそないけれど、俺たちを快く迎えてくれる人たちに片手を上げる。
穏やかで良い所だと思った。

「なー」
「ん」
「相手してくれよ、またしばらく会えないんなら」
予想外に切迫した出撃予定に面食らって、焦っていた。漠然と「セフィロスは暫くミッドガルにいるだろう」と思い込んでいたんだ。落ち着いて頭の中 を整理しないとこんがらがってしまいそうなほど、次から次へと色んな事が起きている。この一連の収拾の為に、よその案件は放置されるだろう。
勝手に、そう思っていた。

一度も勝てていない。
セフィロス一人にだけは、一度も勝てていないんだ。
それが悔しいだけだ。
俺がギブアップだと言った事なんて一度もないけれど、戦場なら確実に仕留められているだろう体勢に持っていかれる度に、いつも一方的に訓練を終わらされている。
連れない練習相手だと思う。もう一本を毎回申し出てはいるけれど、首を縦に振ってもらった事は一度もない。
俺はただ、一度ぐらい俺の気の済むまで、相手をしてほしいだけなのに。
「あんたがいいんだよ、俺は」
他の奴じゃあ物足りないんだ。
「……」
ひりついた戦闘意欲を落ち着かせてくれないと、気が済まない。
「じゃないと俺、もー干からびそう!頼むから、な」
「……おかしな物言いを……するな……」
ひくひくと英雄の肩が揺れる。不思議に思い、凝視した。堪え切れなくなったらしく、ついに腹を抱えて笑いだすセフィロスの手が口元を塞ぐ。笑い声を漏らさないよう耐える姿があまりにも珍しくて目が点になったけれど、返された言葉の意味を悟った瞬間、恥ずかしくなって顔が熱を持つ。
「あ、あー!悪い!確かに今の言い方はヤバかった……でも俺、本気だぜ?」
「わかったわかった」
笑いをこらえ、一度だけ髪をかき上げて居直る。生暖かい風で枯れ葉が転げていく。地に足をつけてこちらを見据える英雄の出で立ちに、生唾を飲み込んだ。
「いいだろうザックス、この任務中一度でも俺に触れられれば、相手をしてやる」
「……それが、積み上げるって事か?」
「さあな」
さては触れられない事に俺が凹むとでも思っているんだろうか。
「よっしゃわかった。一週間以内に、お前にタッチしてやるよ!」

*

意気揚々と宣言したものの、そう簡単に触らせてくれるほどセフィロスが甘いはずはなかった。見つけ次第背後から近寄り手を伸ばしても避けられる。 建物の角から急襲したところで何気なく一歩引かれて終わってしまうし、夜間急襲の計画を練ったところで怪しく光る獣の目に射貫かれて、戦意は喪失。どうあがいても、距離が詰まらないもどかしさに悶絶するしかなかった。
手を伸ばせば届くと思っていたはずだ。
笑えばその辺に居る人間と何ら変わりもない。
なのに、あと一歩がどうしても届かない。
「っあー!もう!くっそ!」
「ギブアップするか?」
「んなわけないだろ!あと五日以内で必ずタッチしてやるからな……!」
含み笑いだけを残して英雄の姿は調査先の建物へと消えて行く。ここで待ち伏せしていたら、出掛けにどうにかなるだろうか。ただ、それをすると俺自身の任務がおろそかになってしまうという問題がある。 四六時中見張っているわけにはいかないけれど、マメに覗きに来るぐらいなら、許されたい。
任務内容を再確認する。向こうの建物の内部確認と、近隣住民の健康調査。生活環境の確認と、モンスターがいるのなら討伐は必須だった。言われるが まま剣を振り、時々セフィロスの様子をそっと覗きこんでは、また外へと戻る。

そんな風に過ごした四日目の夕暮れ時。大方の任務は終わり、あとは住民とのコミュニケーションから近隣の動向を探るという、ごく簡単な物だけだった。歓迎され、村の真ん中には豪華な食事がたくさん並んでいるけれど、きっと宴会が始まるのは、まだもう少し先だろう。
つまり、ついに、その瞬間が訪れたってわけだ。
セフィロスの任務は難航しているみたいだった。そのうち出てくるだろうとそっと建物入り口の扉沿いに身を潜め、いつでも剣を抜けるように準備する。どこから襲撃をキメようか少し悩んだけれど、一対一の戦闘なんてのは、いつだって真正面からはじまるもんだ。小賢しい動きが通用する相手でもないし、このまま待機する事に決めた。
「さーいつでも出てこいセフィロス、全力で抱き着いてやるからな」
山の向こうに陽が沈んで行く。まるで昨日村長さんから聞いた、死者の山へと帰って行く光みたいだった。眩しいほどの夕日の照り返しに目を細め、それからターゲットの出現を待つ。

――その日、セフィロスの顔を見る事は叶わなかった。