星崩しの積み木2

よくもまああんな事を言ったものだ、と思っていた。田舎の話を聞いた事は何度もあったが、その度に理解しがたい表情で笑うその鼻先をただ見つめて いた。
俺が持っていない物を大切に抱えて笑うザックスが抱きかかえている物を、知りたいと思った。
そんなに美しい物なのだろうか。
俺が今、積み上げ始めたものとは。

人と人の営み。生物の繁栄。生まれ行く星の声と、滅びの歌。それら全ての知見を得れば、何か変わるような気がした。愛の定義などわからない。聞い ただけでも理解はできない。そんな物を得た感覚を一度も味わったことは、一度もなかったからだ。
愛とは何か。星と人の繁栄とは何か。自分がここに生まれ、育ち、こうして生きている事実を自分自身で認めることが出来れば、今ならまだ間に合うと、そう思っていた。
適当に手に取った本を開く。分厚いそれに走る細かい文字をひたすら目で追った。
この星に根付いた最初のセトラは求めた出会いに手を取り、心を交わし、そうして種族の繁栄を祈り続けた。新たに若く芽生えた生命へ歓喜し、その成 長を見守るために手を取り続けて広がっていく心を持った。
愛とは何か。心とは何か。相手が大切だと思う事。相手を消したいと思う事。助けてやりたいと思う事。見放そうと思う事。一緒に強くなりたいと思う 事。より強くなりたいと思う事。穏やかに過ごしたいと思う事。優しく抱きしめてやりたい。笑いたい。近づきたい。触れたい。あれがしたい、これがしたい、自分の全てを捧げてでも慈しみたい。
そして、何もかもを全て知り尽くした上で、死んでいく事。
それらを全て手の中に包み込み、祈り合わせた物、だそうだ。
愛とは、そういうものだと書かれている。論文のように説明されているものではなかったが、文献の中で生きていたセトラたちは、そうして過ごしてい たらしい。
「……」
巻末を見届け、目を閉じる。
開眼、隣にある本に手を伸ばす。
思い当たる節はあった。
考える事を放棄しようと、思いかけていることがあった。
しっとりと汗ばんだ指先で摘まんだ本の端が破れてしまわないようにそっと触れる。食い入るように、引き込まれるように目を通し続けた。破損して読み取れない部分も多少はあったけれど、それでも手と目が休まるような時間はない。
読み進めていくうちに、ぞわりと沸き上がる感覚。
どこかで否定し続けていた、自分の出自と正面から対峙させられているような文言に突き当たる。
「ばかな」
そこに書かれていた真実に体が冷えていくような気になった。
次々と脳に飛び込んでくる自分の知らない事象に、めまいがする。
心の中に淀みを作り始めた疑問がだんだん大きくなり、自分を侵食していく感覚に抗いたかった。それでもページをめくる手は止まらず、じわじわと込み上げてくる笑いをついにこらえきれなくなる。
「……そうか」
全てのページをめくり終える頃、自分がザックスへ伝えた言葉に間違いはなかったことを、確信した。

自分自身の持つそれの稀薄性に、嫌気が差し始めていた。
望まれて生まれ、望まれて育ち、望まれた通りに歩を進める体に降り注ぐ歓声と賞賛を、心地良いと思う事すらなかった。それでも大人たちは俺を褒め たたえて来る。
それが当たり前だと思っていた。
誰もかれも、こんな感覚で生きているものだと思っていた。
そんな所に突然現れた子ども。まだまだ未熟なその思考と行動、力全てに物足りなさを感じ、その危なっかしさから目を離してはいけないと。そう思っ た。
眺めている間に気づき始めた。褒めそやして来る割に、遠目からのぞき込むようにこちらを見てくる人間ばかりの中、無意識に作っていた心の壁を蹴り破って飛び込んで来る存在。
――ザックス。
あれはまるで、可能性の塊だ。
人懐こい、という感覚を知った。笑えば目が細くなる、という事も覚えた。相変わらずうまく笑うことなど出来はしなかったが、それでも、口角を緩め る方法を覚えた。ささやかな会話に頬を緩めることが出来れば、黒い髪の未熟なソルジャーは俺の数倍の笑みで返してくる。
それでいいと思った。
同じように続けていれば何か変わるだろうと、思った。

『どうすればアンタに勝てる?』
真摯に教えてやりたかった。それがあいつの知りたい事ならば、教えてやりたいと思った。腰を据えて指導し続ける事は叶わないかもしれないが、それでもアドバイスの一つぐらいはできるだろう。
出来る限りそうしてやりたい。そう、思った。
とはいえ、己の出自と生育環境から得たもの、伝えられるものなど何もない。言われるがままに剣をふるい、食事を喉に通し、髪を伸ばした。望まれた姿で、望まれたとおりに神羅の象徴としてあり続けた。
だから、自分からザックスに伝えてやれる言葉一つすら、持ってなどいなかった。
だが、あいつがこうありたいと思うのなら。
俺のようになりたいと思うのなら。
俺と同じ道を歩くことが出来るのなら。

『絶望だ』
『ん?希望じゃなくて?』
『絶望を積み上げろ、ザックス』

可能性の塊は、希望に包まれて成長する。眩しすぎる太陽の下で剣をふるうザックスの大剣に太陽光が反射する。俺の目の前で走るその剣筋に、一つの 曇りもなかった。
俺にもその希望とやらを見つけることが出来るだろうか。
人の営みを知り、感情を知り、上手く取り繕う方法だけでも覚えられたら、太陽に手は届くだろうか。

柄にもなくそんな感傷的な気分で、人類の英知を編み上げた文献に手当たり次第手を出した。
その結果がこれだ。俺が積み重ねてみようとした希望の先にあったものは、結局、絶望でしかなかった。