ザックス・フェアの災難


 今日の俺はちょっとすごいぞ。
 目覚ましがなる前に目が覚めて、毎朝みたいに起きてなぜかパンツ一枚になってることもなく、二度寝することももちろんなかった。朝飯に栄養補給剤おかわりまでしたし、ソルジャーのブリーフィングルームにも一番乗りだった。
 最高の一日になるに間違いない。そう信じ込んでんだ。廊下ですれ違ったクラウドと言葉を交わさないままグータッチだけで歩き去る。振り返る事もなく、振り替えられる事も多分なく、目があった瞬間に細くなったあの目蓋の可愛さだけを反芻する。
 かーわいいなあ。
 本人の目の前で言うと怒られるから、独り言で済ませちゃうけどね。
 今日は出撃もないし、適当に会議を終えた後は待機任務に入った。忙しい時は忙しいけれど、暇な時って本当に暇……ってわけでもないけれど、今日はそんな感じでありがたい。
 一般兵として治安維持に努めるクラウドを遠目から眺めて、目が合った瞬間に軽く手を振る。ぷいとそっぽを向かれて、ハイハイ任務中だよな、と独り言。何をするにしたって最高の気分で、道行く人々に順番に握手とハグを送りたい気分だった。
 ここまで調子のいい日はなかなかないぞ、やっぱり今日の俺ってば、超ラッキーじゃない。
「……ん?」
 視界の端っこでぴかりと光る足元に気を取られる。
 立ち止まってゆっくり見下ろすと、足元に鎮座しますは百ギル硬貨。
 それも今年作られたばかりの、ぴっかぴかのやつ。
「うお、ラッキー!」
 周りをそれとなく見回して、人の視線がこっちに向いていないことを確認する。流石に天下のソルジャー・1st様が100ギル拾ってるなんてみみっちいとこは見られたくないじゃない。髪をさっとかき上げて、ポケットから片手を出し、さも靴紐でも直すかのような顔を作ったまま……さっと拾い上げた。
「おお、流石に綺麗だな……」
 誰かに自慢したいなと思った瞬間、脳裏に浮かぶのは一人だけ。難しい顔をしたアンジールに会いに行くのも悪くはないけれど、今日の俺のすごさを聴いてもらいたい相手は、やっぱりクラウドだけだった。
「……もしもし、クラウド?」
「ああ……なに、ザックス」 
 びっくりするほど沈んだ声が、耳元で出迎えてくれた。
 思ってたのと違うなと思ったけれど、適当に会いたい旨を伝えて、返事を待つ。
「……俺の話も聞いてくれる?」
 ジュノン沖でやった潜水艦演習の時を思い出しそうな、暗くて沈んだ声だった。まるで深海、ここまで暗い声もそうそう聴いたことがない。柔らかい声のクラウドの口元からこんな声が出てしまうだなんて、よっぽどの事だろう。
「いいぜ、奢ってやるから話せ話せ!」
 ありがと、じゃあ後で。それだけ返されてぷつりと通話が途切れる。
 俺とあいつの今日の運勢、対象的すぎないか?
 足して2で割ってやれたらいいんだろうけど、そんなマテリアなんて存在しない世界に生きている。
 だから、話を聞いてやるしかないんだよな。どんな話だって受け止めてやろう、俺の腕で――なんて、ゲームの主人公みたいなことを一人で思いながら歩いた。

*

 待ち合わせ場所に現れたクラウドの顔ったらなかった。眉間にしわを寄せて、俯き加減で、なんとなく体全体もしょんぼりしているように見えた。なんでも、酔っぱらった知らねえオッサンに女に間違われた上にケツを撫でられて、こんな仕事すぐにやめろとまで言われたらしい。俺からしたらどう見ても女には見えないし、ただ酔っぱらってボケた野郎の戯言でしかなかったけれど、元々女顔であることにコンプレックスを抱いているクラウドには 覿面だったようだ。
 俺自身がそういう目にあったことがないからなんとも言えないんだけれど、まあ、そりゃへこむよな。
 しかもセクハラまでされたと来た。
 流石にそれに関しては俺も黙っていられず、掴んでいたグラスの取っ手を握り割ってしまいそうになった。
「俺と一緒にいるときにそいつ見たら、教えろよ」
「もういいよ、関わりたくない」
「俺が関わりたいのー、そのオッサンに」
 ずず、と音を立ててラーメンをすするクラウドと、一瞬無言の時間が流れる。
「そうだ、クラウド、これ見て」
 昼間にこっそり拾った、ぴかぴかの硬貨。ミッドガルでは新品の硬貨は貴重品とされていて、なかなかお目にかかることはない。銀行とかにはあるんだろうけれど、それに交換する理由もなかなかない。
 俺、新品の硬貨初めてみたよ。
 そう言って指先でつまみ上げる。店の照明に反射してピカリと光ったそれをマジマジと見つめるクラウドの目にも、少しだけ光が灯った。
「やる」
「いいの?」
 プレゼント、だから元気出して。
 仕方ねえから先輩が飯もおごってやるよ……あれ?
「……ザックス?」
 あれ、ちょっと待て。
 マジで。
 これはちょっと。
 待ってくれ。
「……財布、落とした」
 色々誤魔化すために、とりあえず笑う。
 ようやく笑い始めたクラウドの目が濁り、眉間に皺が寄ってくる。
 冷め始めたラーメンが胃の中にすべて吸い込まれて消えるまで、無言の時間が流れた。
 無言で伝票を手に取り、レジへとまっすぐ進むクラウドの後ろ黙って歩いた。なんだよ、今日、朝から完ぺきだったじゃない。なのに何で。大きなため息をひとつ吐くと、こっちを振り返ったクラウドが眉間にしわを寄せたまま、店の外を指さした。
「ザックス、行こう」
 クラウドの同僚が貸してくれた小型バイクに跨って、歩いた道をトロトロと走る。運転するクラウドの背中から腹に手を回して温かさを楽しみたいところなんだけど、正直、ちょっと今そんな気分じゃなかった。
 何度も何度も出てくる溜息を遮るように、クラウドの声が風に乗って流れてくる。
「ため息ついてないで、ちゃんと足元探せよな!」
「はい……すいません……」
 俺、前見てて見えないんだからな。いつもより大きな声でそう吐くクラウドに言われるがまま、足元をじっと見る。
 朝起きた時から完璧だったし、綺麗な小銭も拾ったし、クラウドに飯もおごって完全にかっこいい俺が出来ちゃうなあなんて思っていたのに、この突き落とされようは何だ。任務でへました時だってここまでへこんだことはなかった。財布を落とすかどうかなんて結局その時の運だったりするから仕方ないって頭ではわかってるけれど、本当にもう。
「っあー!マジで最悪!」
 なあクラウドちょっと聞いてくれよ、俺今日朝からすごかったんだぜ、だからお前におすそ分けしたかったんだ、いいことがあったら他人に分けろって、俺の故郷の言葉だからさ。そしたらお前元気なかったじゃない、だから奢ろうと思ったの。そしたらこんなことになったの。わざとじゃないって信じてくれよ。なあ、ほんとなんだって。なあ、クラウド、なあ。
「わかってるって! 流石に俺にたかりたくて声かけるような奴じゃないことぐらい、わかってる!」
「改めて言わないでくれ、マジで凹む……あ、ちょっと待て、あった!!」
 数メートル進んだところで後ろを振り返り、慌てて拾い上げる。
 あーこれこれ、使い込まれた黒の革財布。これ、俺の愛用品。
 大事に使ってずーっと育ててきたのに、こんな野ざらしにしてしまってごめんよ。
「中身は?」
「……やられてるわ」
 小銭がちょろっと入っているだけで、札束はしっかり全部抜かれていた。指紋とってもらいに行くかと聞かれたけれど、天国から地獄へのジェットコースターでそんな元気が出るはずもなく。もういいや、と呟いてカード類の確認を取る。基本的に必要なとは以外は大事なものって持ち歩かないから、やられたのは金だけで済んだ……と、思うしかない。
「いくら入れてたんだ」
「生活費全部……」
「今月あと20日もあるのに!」
 だって、いちいちちまちま銀行行くのめんどくさいじゃん。口をとんがらせて返すと、それはそうだけど、と言葉を濁された。
 あーカッコ悪い、俺今日本当にカッコ悪い。
「ザックス、元気だして……金、足りなかったら貸すから」
「ううっ、情けねえ……」
「来月の給料から返してくれたらいいからさ……」
「ああ、ありがたいけどクラウドの優しさが辛い!!」
 頭を抱えて大声を出す。大丈夫大丈夫、怪我したりしてないだけマシだよ。さっきとは打って変わっていつも通りの穏やかな優しい声をかけられた。トントンと背中を叩かれて、反射的に顔を上げる。スッと立ち上がった瞬間、クラウドにキスされた。
「おっ……め、珍し」
「……元気出せよ」
 俺、いつものザックスが好きなんだから。
 そう笑って、クラウドはバイクのスタンドを下ろす。こっちを振り返らずに早く乗って、帰ろう。そうせがむ言葉に誘われて、後ろに回った。
 まわりまわってめぐりめぐる。落とした財布は帰って来た。しかもこうして最後の最後にはクラウドからキスをもらえたんだ。そう考えれば、やっぱり今日の俺ってついてるのかもしれない。
 多分そうだ。 今日の俺はきっと、最高だったはずだ。
――そうでも思わないと、自分が情けなくて泣いちゃいそうだよ。






fin