ただのわがまま
白い首筋が震えて、喉元から低く呻く声が漏れる。
つたい落ちる汗が胸元を通り抜けて、臍のあたりになじんでいく。
その一連の流れを見上げている瞬間が何より好きだ。俺の腰の上で踊るように跳ねるクラウドの眉間に皺が寄って、くぐもった声とともに精を吐き出す。薄暗い部屋ではその表情がよく見えないけれど、その後崩れ落ちて、俺に覆い被さって来る吐息は熱い。それが自分の耳元にかかるくすぐったさに一つ瞬きをした後、そっと髪を撫でる。
大きく息を吐き切った唇はうっすらと開かれていた。触れるか触れないかのギリギリのところを指でなぞると、瞼が開いて視線が合う。
「良かった?」
「……っ」
その言葉が引き金になったみたいだ。まどろんでいた目に、パチンとスイッチが入る。乱れた髪の毛を撫でつけたクラウドはのろのろと起き上がり、ベッドから片足を出す。
「シャワー、浴びてくる」
「待って」
全身がベッドの外に出ていく瞬間に、思わずその腕をつかんで引き留めてしまった。振り返らずにされるがままのクラウドが、決して俺を拒否しているわけではない事は知ってる。けれど、行為を終えた後はいつも、まるで別人みたいにさっさと立ち上がってその場を後にする。
寂しいわけではないけれど、もう少しだけくっついてたい、とか思ってるのは俺だけだろうか。
「なんだよ」
「もーちょっと、ここにいてよ」
抵抗されないのを良いことに、もう一度ベッドの中に引きずり込む。軽く身じろいだクラウドの腰に手をまわしてぎゅうっと抱き寄せた。腕の中の白い体はほんの少しだけ抵抗するそぶりを見せた後、諦めたかのように脱力する。
クラウド曰く、首の下に通した自分の二の腕は太くて居心地があまりよくないそうだ。
「なんだよ」
難しい顔をしたままのクラウドが同じ言葉を二度吐いた。恥ずかしそうな、不満そうな。何か言いたいような、言えないような。なんとも言えない顔で 俺を見つめる碧色の目が揺れる。行為の名残だろうか、心なしか潤んで見えるような気がして親指で目じりを擦り上げた。
「もうちょっとだけ」
「……体、べたべたして気持ち悪いんだ」
「いいじゃん、あとで」
返ってこない返事は肯定の証拠。
俺よりも細く、筋肉の上を覆う薄い皮膚に触れるだけの時間。
抱き寄せたクラウドは観念したようで、素直に俺の首元に収まってしまった。
小さくため息をついたクラウドの指先が、俺の首筋に這う。滑り落ちた先の肩口、胸元、腹のあたりを無言で撫で降ろす。くすぐったいようなかすかな感覚にその手を掴んだ瞬間、握り返された指先の、小さな切り傷に気が付いた。
「どうしたの、これ」
「紙で切っただけだ」
「その割には大きいじゃない」
大きくないよと返されて、まあな、と続けるしかなかった。ベッドの中は二人の体温で暖かく、ひそひそ声が心地よくて目を閉じる。眠るならシャワーへ行かせてくれ、と呟いたクラウドの腰をもう一度抱き寄せると、やんわりと解かれて体を起こした。
「あんたの体の方が、ずっと傷だらけだ」
立ち上がって振り返るクラウドの言葉に何か返したかったけれど、暖かいブランケットに意識を引きずり込まれてしまう。ぺたぺたと歩く足音だけが部屋に響いて、それから浴室の扉の開く音が聞こえた。
クラウドは自身の傷に触れるのを極端に嫌がる。それだってあいつを形成する要素の一つだ。だけど、あいつ自身はそれをいつも否定する。あからさまに不快感を出し、きつく噛みしめた奥歯同士の擦れる音が聞こえる程嫌がった時は、さすがに俺も驚いて謝った。
「触れられたくない?」
「……」
ただ俯いただけで、頷きも否定もしない。
その理由を知りたいと言ってはみたけれど、捕まえようとした俺の腕をすり抜けて浴室へと向かっていった。
* * *
ザックスとの密やかな行為は好きだ。
苦しそうな顔で吐精感に耐えるその顔を見下ろしていると、自分の中の支配欲が満たされる。
いつだってそうされているのは俺自身だとわかってはいるし、両腕を背中側に回して掴まれてはいるけれど、それでもその間、あいつの目に映っているのは俺だけだという安心感さえある。喉の奥から叫びだしそうになる快楽に、掴まれた両腕に縋りつきたくなるほど翻弄されるのも嫌いじゃない。
それでも決して強制的な束縛じゃない事もわかっている。
まだここにいろ、と言われた言葉を振り払って浴室の扉を開けた。足の裏から伝わるひんやりしたタイルの感触から逃げたくて、シャワーの蛇口をひねった。いとも簡単に流れ出る温水に頭から浸ってしばらく俯いていると、鼻先を伝ったしずくがぽたぽたと足の先に落ちる。流れ行く先は排水溝、その向こう側がどうなっているかなんて、考えたこともない。
「……っ」
指先にチリリと走ったささやかな痛みに、ほんの少しだけ苛立った。
「痛いわけないだろう、こんなの」
あいつの体に比べれば。
ザックスは俺のほんの小さな傷すら見逃さない男だ。さっきだって、俺自身ですら忘れていたほど小さなそれを指摘して来た。
過去に受けた傷の大きさを思い返せば、こんなものは傷のうちにすら入らない。
それはあいつだって同じことだって言うのに、いつも―― それどころか、あいつの方がよほど傷だらけだ。
俺がさっき触れた傷一つ一つの修復力はさすがに早いだろうけれど、瞬時に跡形もなく消えるわけではない。触れた指の進む先が、自分の体に残る傷痕一つ一つだと気が付かないまま笑う顔に、堪えがたい感情が顔を出す。
心の底から何でもないような顔で笑い、心配する俺に言葉を返す声は軽い。
それでも、時々顔を合わせて肌を見る度に、確実に増えている赤く抉れたその痕を見る俺の気持ちを、ちっともわかってはくれないんだ。
ケロイド状に盛り上がった一生傷は、きっと死ぬまで増えていく。
あいつはそれを何とも思っていない。
その証拠に、俺が体を気遣ったセックスをしようとしても、すぐにそれを否定する。
"大丈夫だって、こんなの怪我したうちにはいらねえよ"
"俺、そんな簡単に死なないから"
拭き損ねた血のこびりついた口元で笑いかける度に、俺の中にある不安が増幅していくことをまるでわかっちゃない。
「気づけよ、ばか」
あちらこちらに出来た自分の生傷の痕に指先でそっと触れる。神経までは到達しておらず、ちゃんと感覚はある。 ザックスの手でここに触れられるたびに込み上げる悔しさと温かみをまだ受け入れることが出来ない俺が、あいつの傷に触れる瞬間、当たり前のように受け入れられている事にどうしても腹が立ってしまう。
だったら、俺の傷になんて触れさせてやらない。
この傷の悔しさが消えるのが先か、ザックス自身の傷の重さに気づくのが先かはわからないけれど、そんな事をわざわざ自分から丁寧に説明してやるほ ど、俺は優しくはないから。
何もかも全てを許せるようになる頃には、俺もきっと、笑って触れてもらえるようになるんだろうか。口に出してすべて伝えてしまえば、簡単に楽になれるとはわかっている。それでも、ザックスに気づいてもらいたいと思う。
これはただのわがままだ。
流れていく泡と水が、足元に消えていく。
シャワーを止めて、体を拭いて、扉を開ける。
ベッドに向けた目の先には、寝入るザックスの髪が揺れていた。
fin