矢継ぎ早に舞い込んでくる依頼を無心で片付け続けた。数年前、金が必要だとあんなに口に出していたって言うのに、今ではすっかりそれには満足してしまっている。それどころか最近は、溜まった金をまともに使う暇さえ与えてもらえていないぐらいだ。ティファに記帳してもらった通帳に増えていくゼロの数にニヤつく事もあったけれど、さすがにここまで繁盛すると、確認するのも億劫だ。
こんなに忙しいのは、神羅入社してすぐの一般兵時代以来だろうか。
窓から差し込む太陽にうっすら目を開け、足指の先に引っ掛けたカーテンを無理矢理向こうへ蹴り飛ばす。陽光の眩しさにもう一度目を閉じてしまい そうになり、慌てて起き上がった。
自室の扉を開け、俺より先に起きているであろうザックスの姿を探す。
「ザックス……?お、おい!!」
声を出した瞬間に突然背後から抱き着かれ、口を塞がれる。その手首を掴んで引きはがそうとしたけれど、恐ろしいまでの手際の良さで掴み返され た。振り解こうと暴れてはみたものの、布のようなもので両の目を塞がれ、耳元に熱のこもった声が流れ込む。
「……何の真似だ」
後頭部でキュ、と結ばれた布の感触が、頭と視線を締め付ける。解放された両腕を適当に振って犯人の感触を確かめようとしたけれど、空を切るばかり。こうなってしまえばもうお手上げだ。あきらめと同時に、深い深い溜息が出た。
「……朝から何がしたいんだ」
「ふふふ……ちょっと付き合ってもらうぜ」
――それで今、この状況だ。
視界を遮られたまま、体感で通り過ぎる風の生暖かさにため息をついた。どこへ連れていかれるかの予想がつくはずもなく、されるがまま背中に額を押し当てている。二言三言交わした言葉に中身は何もなく、それが現状自分の対処すべき状況だと言う事以外、何も理解が出来なかった。
目隠しされたままのドライブが楽しいかと聞かれると、何も楽しくはない。ただ俺をこんな目に合わせている相手が相手だから、特に反抗する気も起きないだけだ。体に感じるバイクの傾きで方角を割り出そうとしたけれど、うっすら沸き上がる乗り物酔いの気配が邪魔をして、それも上手くいかなかった。
* * *
「ついたぜ。降りられる?」
「嫌だ」
「えっ」
「目隠しを外さない限り絶対に降りない」
正直、物凄く馬鹿馬鹿しい姿だと思う。腕を組み、偉そうにそんな言葉を吐いたところで目隠しをされているなんてあまりにも格好が悪い。どこに連 れて来たのか知らないが、当然多少腹は立っている。大人しく言う事を聞くと思ったか。俺の許可もなく勝手にそういう事をしたのなら、最後まで好き勝手にやればいいだろう。
ただし、俺だって素直に従う道理はない。
「はいはい……じゃーん!クラウド!目開けて見て!」
瞼に刺さる太陽にやられてしまわない様に、ゆっくりと目を開ける。
「……は?」
目の前に立ち込める湯気と独特の匂いに一つ鼻をすすり、それから声が漏れる。道行く人々はこの街独特の観光衣服に身を包み、手にはそれぞれ風呂 桶を持っている。毛先から滴り落ちる雫で地面には点々と跡がつき、寄り添って歩く恋人同士の頬は心なしか赤く染まっているように見えた。
温泉街、ミディール。
どうしてこんな所に連れて来られたのか、全く見当がつかなかった。どうしても何も、多分温泉に入りたいだとか、俺を驚かせたかった、とか、多分その程度の理由でしかないだろうけれど、それでも。
「ザックス……?」
「そ、クラウドさんを日帰り温泉ツアーにご案内ってわけ!」
――両手を広げて大々的に発表されても、あまりにも突然の展開過ぎて感情が追い付かない。
それに、温泉と言われても。
手を引かれるがまま街の奥へと引きずられながら、心の中でため息をつき続けている。確かにザックスは何も気にしないだろうけれど、俺はそういうのがあまり得意ではない。
「ザックス、俺は……」
「大丈夫だからついて来いって。せっかくここまで来たんだからさ」
「……」
欝々と心が萎縮していく。不特定多数に自分の裸を晒すことそのものに忌避感があるわけではないけれど、そうする事で自分に集まる視線が、どうにも苦手だからだ。ザックスの体だって似たようなものだが、全然気にするそぶりを見せないあたりは少し羨ましいと思う。
「ほら、こっち」
促され、小さな建物に入る。受付の女性に話しかけるザックスの顔が心なしか緩んでいるような気がして、少しイラついた。それでも黙って待っているとちょいちょいと手招きされ、反射でつい立ち上がってしまう。
「大丈夫だってさ。行こうぜ」
「……いや、俺は」
「いいから!大丈夫だって言ってるだろ?」
ああ、今日は今朝からため息をついてばかりだ。
全く気乗りがしないまま、黙って暖簾をくぐった。
戸惑う俺を振り返りもせずに、平気でザックスが服を脱ぎ捨てた。横目でそれを確認しながら、周りに誰もいない事に少し安心する。だけどきっと、更衣室の先に行けば、知らない視線が俺の胸元に集中するだろう。
「大丈夫、誰もいないからさ」
「……本当に?」
「ここ、時間制の貸し切り風呂なんだ。空いてたのはただのラッキーだけど」
ふと顔を上げると、黒い髪の向こうに隠れた視線と目があった。見開かれた瞳は穏やかで、自分の考えている事を全て見透かしているような、そんな色。もう一度足元に視線を落とし、心なしか口元が緩む感覚を悟られないように伏せて隠した。
ガラス扉を開けて広がる大浴場は露天作りで、外からももちろん見えないようになっていた。ザックスの言った通り、俺たち以外何処にも人影はない。
半ば放心状態で沈められ、体に沁み渡る温かさに目を閉じる。
無意識に出る声が腹の底から漏れ出ては掠れていく。
「ふぁー、超気持ちいい!」
「ああ……いや、ザックス、声がでかい」
「いや、出るだろ!ふぁー……あー!最高だ!」
両手で掬い上げた湯で顔を洗い、前髪をかき上げる様子はまるで子どものようだ。ほんの少しだけ自分も解放されたような気になって、同じように顔を濡らす。腕を伝って流れる雫までもが温かく、さっきとは全然違うため息が出た。
これなら大丈夫だ、と思った。
鳩尾に出来た大きな傷は、自分自身が保持し続ける記憶そのもの。それ自体に負の感情を持ってはいない。けれど、ただ普通に生きている人間の目に晒す事には抵抗があった。普通ではない、何か事情があるだろう、あまり見てはいけない、それでも気になって横目で見られ、相手が詮索する時間を作る事を良しと出来ないだけだ。
「そこまで気にしなくていいと思うぜ。星を救った勲章だろ?」
「だけど、普通の人たちが俺の事を知っているわけじゃない」
「詮索されるのが嫌?」
「……穏やかに生きている人の目に入れる必要がないだけだ」
多分、相当前だと思う。なんでも屋の軍資金をかき集めていた時に言った事だ。数か月程度の話ではない、年単会で前の話。何の気なしにぽつりと呟いたその一言を、ザックスはずっと。
本当に些細な事だと言うのに。
確かに気にしすぎだともわかっているぐらい、ささやかな一言だったのに。
「……覚えていてくれたんだな」
「あたり前だろ。大事な事じゃない」
俺がいいじゃんって言ったって、譲れない所なんだろう。だったら俺が合わせればいいだけだ。そう言ってザックスは湯の中で腕を掻く。揺れる水面が弱々しく波立って、俺の傷痕を打つ。
日が沈み、ちくちくと光りだした星空の下で茹だる体のまま、深く息を吐いた。
* * *
「本当は一泊ぐらいしたいところだけどな」
「明日も仕事だ、帰るしかない」
「だなぁ」
日が沈んだというのに、街中を歩く人の数が減る気配はなかった。人と人の間をすり抜けて街の出口へと向かう。一瞬無言の時間が流れ、ふと気になったことを口に出す。
「……で、ザックス。一つ聞きたいことがある」
「なに?」
「わざわざ目隠しした理由は、なんだ」
別にミディールへ行くと言ってくれれば、黙ってついてきただろう。時間に限りがあるとは言え、他人の目に触れずに済むとわかっていたなら最初から嫌がったりなんてしなかった。寝起きの俺を無理矢理羽交い絞めにし、ご丁寧に視界を遮ってまで連れて来た理由は何だったんだ。
「え、いや……それもお前が言ってたことだし……」
「は?」
バツが悪そうに頭をかき、一瞬足を止めたかと思えばまた歩きはじめる。
「いつだっけ、半年ぐらい前か……お前、言ってたじゃん。仕事が終わらない、いっそ誰か俺を拉致ってくれってさ」
「なっ……」
「翌日に響くからやめろって言ったけど、お前珍しく深酒してたじゃない。その時に言ってたぜ。仕事が嫌なわけじゃないけれど休みたい、いっそ拉致られて監禁されたら一日ぐらいは休めるかもって」
――言った。
確かに言った覚えがある。
ザックスが俺を宥めながら定休日を作ろう、と提案してくれていたことも覚えている。毎週水曜日だけは休もう、お客さんの緊急の際は対応しよう、 だけど基本的にはきちんと休むよう、環境を整えてくれた。今日、急に拉致られても大丈夫だったのはそのおかげだ。
べろべろに酔っていた俺はなんでもいい、とクダを巻いて机に突っ伏していた。正直、とんでもない姿を見せたんではないかと思っていたけれど、翌日以降ザックスが俺にその時の話をしてきた事は一度もなかった。だから、すっかり忘れていた。
俺は忘れていたって言うのに。
「……あんた……お、覚えてたのか……!!」
「忘れるわけないだろ?お前の言った事なんて、全部覚えてるぜ!」
バイクに手をかけようとしたザックスを制し、ハンドルに触れる。
何かを察しザックスがスッと身を引いた。
「だからって、本当に拉致するのはあんまりだろう」
「されたいって言ってたくせに……どう?ちょっと興奮した?」
その言葉を聞いた瞬間、ポケットに手を突っ込んだ。まさぐる程の物ではなく、指先で触れた瞬間にそれを引っ張り出す。
「……ああ、最高だったよ。だから」
無理矢理視界を遮られたままフルスロットルで走る感覚を、ぜひ、ザックスにも味わってもらいたいと思う。
「クラウドさん……?」
一歩前に出た足を引っ掛けてつんのめったところを背後に回る。全てを悟り観念したザックスは脱力していて、抵抗するそぶりは見せてはこなかった。湯気と温泉のにおいがする空気を思い切り吸い込む。吐きながら、ザックスの目元に黒い布を強く巻きつける。
「乗れ」
「……マジ?」
「ああ、マジだ」
背中にぴったりと抱き着かれたザックスの腕に力が籠り、ふっと力が抜けた瞬間を見計らって、全力でアクセルを握りこむ。
同時に上がった悲鳴が星中に響き渡り、俺の笑い声も掻き消されて行った。
fin