エマージェンシー・アフター・バースデー
普段と何も変わりのない一日だ。空は突き抜ける青さ、日差しが肌を焼き、雲は風に流れていく。
予定の書きこまれたホワイトボードの行き先は黒いペンで斜線を施され、予定時間が迫っている事にため息を一つ吐いた。
「そろそろ行く?」
「ああ」
手渡された小包を、荷入れに格納する。ゴーグルに手をかけ、髪の乱れを適当に直す。
道中にある得意先の顔も見ていきたいと伝えると、よろしく言っといて、と返される。
「気をつけてな」
「ああ」
へらりと笑った顔に片手をあげ、緩やかにアクセルバーを捻る。
往復数時間の短い旅ではあるけれど、俺にとっては定期的にあってくれないと困る時間だった。
長く長く一緒にいるであろう相棒。四六時中つかず離れず一緒に居たい、と思うようないじらしさは、随分前から薄れていた。意味もなく手を繋ぐ回数は減ったし、隣にいながらシャツのボタン一つ外すことも、最近はあまりない。それでも求められれば応えるし、不愉快になるわけでもない。
別に嫌いになったわけじゃない。
当たり前の時間に、慣れきってしまうのが怖いだけだ。
チョコボファームへの配達物は、依頼が舞い込んだ瞬間に俺が行くと決めていた。
海から吹く風に当たりながらあの鳴き声を聞くのは悪くない。それどころか、想像するだけでも最高の時間じゃないだろうか。配達日は当日厳守を約束する、予定通りに渡し行くと伝えて電話を切った瞬間、いつもならどちらが配達するかで短いやりとりをするはずのザックスでさえも「お前が行くだろ?」と気を利かせてくれた。
「じゃあ」
「ん、いってら」
エッジの街からチョコボファームへはほぼ一本道。草木の覆い茂ったミッドガルを横目にフェンリルは走る。徐々に整備されつつある道を突き抜けて、街道の分岐が見えてきた。左のルートを選択し、穏やかに走るトラックを追い抜く。いつも通りに見送ってくれたザックスへの土産は何がいいだろうと思いながら、そんなのいつもしていない事に気が付いた。別に必要ないだろう、と首を振る。
ほんの少しだけ与えられた自由時間を、自分なりに満喫しようと思った。
しばらく走っていると、おかしな感覚に包まれる。かすかな違和感をすぐに察知してしまうのは悪い事ではないけれど、嫌な予感の出所を探るようにアクセルを絞り、全開にし、それからもう一度絞った。
――おかしい。速度が上がらない。
かといって異音がするわけでもないし、ブレーキはちゃんと効く。ボディが熱を持っている様子もなく、走る分には問題ない。ただ、出したい速度が出ない。
それは、ある意味一番困ることでもある。
燃料は昨晩しっかり補給した。マフラー詰まりもない。プラグの劣化も昨日確認した限りでは見当たらなかったし、あるとしたらどこだろう。
「……エアクリーナー……か」
出来る限り自力で整備している愛機の不調は自分の責任だ。今すぐに止めて確認したい気持ちもあったけれど、配達先へ到着してからでも何とかな るだろうか。爆発四散しなければ大丈夫だと自分自身に言い聞かせ、普段よりものんびり走る一人旅は続く。
自分で設定していた到着予定時刻を三十分ほどオーバーしたところで、ファームが見えてきた。所々にピコピコと跳ねる黄色いトサカに頬が緩む。速度をどんどん落としながらも何とか走り切ったフェンリルに安堵しつつ、帰宅方法について、こっそり悩んでいた。 とはいえ、今はまだ仕事中。愛らしい声で俺を歓迎するチョコボと一瞬だけ目配せをし、建物の扉を開けた。
「待たせて悪かった。依頼の荷物だ」
「大丈夫さ、今日中に届けば問題ない」
荷物と引き換えに、サインを受け取る。
「暑かっただろう」
「ああ……バイクが不調なんだ、少し場所を借りたい」
「構わんよ。陰のある所で作業するといい」
それだけ言ってそそくさと包みを開けたファーム主は背を返し、チョコボ小屋へと消えて行く。
言われた通り、フェンリルと共に大きな木の陰へと移動した。轟音を立ててチョコボたちを驚かせないように注意しながら、緩やかにアクセルを入れる。ぐるりと小屋の周りを一周してみたあたりで、大きなため息が出た。
まいった。完全に故障している。
しかし、特殊工具がないので内部を開けることが出来ない。
このまま無理矢理帰るか?この速度でエッジまでの道のりは、辛いぞ。
大体の予測はついてはいるが、内部確認が出来ないと修理も出来ない。
出来ない出来ない、何もできない。
「……お手上げだな」
さて、どうしたものか。
近くに整備屋があるような場所ではないし、カームまで移動する位ならそのまま無理矢理帰る方がマシだろう。あの街の整備屋は呑気な個人商店しかなく、部品の在庫も少ないとわかっている。取り寄せを頼んだところですぐに、というわけにもいかないだろう。
「困ったな……」
異常なく走ってくれる時はこれほど頼りになる相棒はいないけれど、ひとたび機嫌を損ねれば、誰よりも厄介な相手。長く一緒にいればいつかはそんな事もあるだろうと覚悟してはいたけれど、よりによって今日、そんな事になるとは。
牧場主に工具を借りるか。しかし、肝心な部品がないとやっぱりどうにもできない。
置いて徒歩?そんなバカな。
ぼんやりと対処法を考えながら、空に向かって揺れるトサカたちを眺めている。小さく鳴いた仔に寄り添う親の目は優しく、それを見ているだけで、少し荒んだ心が和み始める。
甘えるような声で鳴き、仲良く羽を擦り合わせる姿に懐かしさを覚えた。自分の生い立ちは決して裕福ではなかったけれど、必死で育ててくれた母さんの目はいつだって優しく、穏やかだった。時々叱られて怖い事もあったけれど、どんなに叱られても、最後には必ず抱き寄せて笑ってくれた。
今となってはもうそんな事はできないけれど、不思議な事に、隣にはまた別の誰かが居てくれる。俺の隣で笑う黒髪の元ソルジャーの顔を思い出す。大体の事を笑い飛ばし、予想外の行動で窮地すらひっくり返すような、底抜けに明るい男。
あいつが俺の隣にいてくれれば、なんだって出来るような気になってしまう。
なんだって、出来るような。
――壊れたバイクの修理だって、出来る、ような。
「……あ」
同時に、バイクの不調を解決できる方法が降って沸く。
ポケットに隠していた携帯電話を開き、慌てて通話履歴を操作した。
「はぁいストライフ・デリバリーサービスです!配達?モンスター退治?なんでもやるぜー!」
かけた瞬間に通話が繋がって少し驚いた。てっきりどこかに出ているだろうと思っていたからだ。携帯に直接かけてもよかったけれど、正式に依頼してみたいような、遊び半分の電話だった。
聞き慣れた明るい声が耳に刺さる。声の大きさで反射的に受話口を耳から離し、慌ててすぐにくっつける。事務所宛てにかけたはずなのに、この速さは一体何なんだろうか――とはいえ、ありがたいことには変わりない。
「ザックス、俺だ。配達を頼む」
「……ん?え?クラウド?」
「今すぐ配達を頼みたいんだが……行けるか?」
事のあらましを説明し、バイクの整備道具一式と、思いつく限りの原因を解決するための部品配達を依頼する。黙って聞いていたザックスは俺が話を終えた瞬間、弾けるように返事を返す。
「りょーかい、承った!準備出来次第向かうよ……急な依頼は高くつくぜー?」
「格安で頼む」
「ははは、考えとく!」
電話を切り、今日一番のため息をついた。
まさか気楽な一人の時間がこんな事になるとは、思いもしなかった。
side Zack
道中で元々予定していた用事を済ませ、挨拶もそこそこに依頼先へとバイクを走らせた。
近頃は別々に出かけてばらばらに帰宅することが多かったから、久しぶりに並んで帰り道を走れると思うだけでもなんとなく嬉しい気持ちになる。
そろそろ出ようと思っていた所だった。忘れ物がないかの確認で指さししていたところに鳴って、反射的に受話器を取り上げた。
「……ふふ」
ワンコールで出た電話の先の相手に驚きはしたけれど、今になってじわじわと笑いが込み上げてくる。心底まいった声で、急かすように話していたクラウドは、なかなかレアな様子だと思う。携帯にかけてくれれば良かったのに、わざわざ事務所に依頼して来るあたりが律儀な奴だ。
それにしても急な依頼だ。
しかも、今すぐにだってさ。
喜んで対応させて頂くけれど、そこはちゃんと、特急料金を支払ってもらおうか。
「世界一のお得意さんだ、全力で行かなきゃな!」
夕暮れの街道を飛ばし、ルート分岐を左に曲がる。今朝クラウドが通ったであろう道を、同じようにたどっていた。目的地で待っているとはいえ、慌てて後を追って迎えに行くような、不思議な気分だった。けれど、すぐにその気分をぶち壊される。
『緊急車両が通ります、そこのバイク!道を開けて!』
「俺?はいよ」
後方からけたたましいサイレン音と共に数台のパトカーが俺を抜き去って行った。
「ありゃー……ご苦労さんだな……」
追いついた先で横転したトラックと、それを取り囲むパトカー。すれ違いざまに敬礼してみたけれど誰にも返してもらえなかった。わざわざ立ち止まるつもりなんてないまま、フルスロットルで走り去る。
バイクの故障だといっていたけれど、どの程度だろう。この道は長距離のストレートが続く事から、馬鹿みたいにスピードを出す車両も少なくない。 電話の声を聴いている限りでは何もなかっただろうけれど、万が一急に動かなくなっていたりしたらと思うと、嫌な気持ちになる。
「……ま、実際そんな事起きてないから。電話の相手は多分、ちゃんと生身のクラウドだ!」
大声で独り言を叫び、陽が落ちて涼しくなってきた道をひたすら直進し続けた。
「お待たせしました!配達物のお届けだぜー」
「すまない、助かった」
大木にもたれて、陽の沈んだチョコボ小屋を眺めながら依頼主――遠い目をしたクラウドが呟いた。手持無沙汰、暇、一人で寂しい。そういった感情 がすべて籠った顔でこっちを見る。普段あまり見せる事のないその表情に、笑いそうになった。
「すっげえ顔してるぞ……で?動かねえの?」
「いや、スピードが出ないだけだ」
「配線?基盤?」
「いや、多分エアクリ……だと、思う」
のそのそと立ち上がったかと思うと手渡した工具をその場に広げ、ガチャガチャ物色し、さっそく作業を始める。バイク用のそれでは扱いづらいだろ うと、ばっちり持ってきていた作業用グローブを手渡した。
「気が利くじゃないか」
「あったりまえだろ?俺だぜ?」
「……」
返事をしないまま、こちらも見ずに受け取った。
「早かったな」
「そりゃあ特急の依頼だったからな。飛ばしたぜ」
「……」
それ以降、何を話すわけでもなく無言で作業をする背中をじっと見続けている。海風の吹く小屋の前、揺れる雑草の音、時々聞こえるチョコボの声。 陽が沈み薄暗くなったそこはのんびりするにはちょうどいい、穏やかな気温まで下がっていた。
「……よし」
「お、なおった?」
「多分」
散らばった工具や部品の箱を放り出したまま、クラウドがバイクにまたがる。そのままぐるりと牧場を一周し、戻ってきた時には満足げな顔をしてい た。
「助かった、ありがとう」
「気にすんなって……で、お客様?料金ですが」
「……本気か?」
「えーえーそりゃもちろん!当日の急な依頼ですから、割増しできっちり払ってもらうぜ」
親指と人差し指で輪を作り、笑って見せる。眉間に皺を寄せて後ずさるクラウドに、一歩踏み込んだ。
「……何だ」
「まあまあ、帰宅してからでいいや。とりあえず帰ろうぜ、もう日も沈んでるんだしさ」
チョコボ牧場の主に挨拶し、二人で並んで街へ帰る。風の抵抗をものともせずに走るクラウドの口元は優しく笑っているように見えた。来る際に見た事故の処理は終わっていて、何事もなかったかのように道は続く。
全快したフェンリルの後ろを追うように走り、無事帰宅する。
予定外の仕事になったけれど、当然悪い気はしなかった。
どちらからともなくソファに沈み、何か言うでもなく黙り込んでいる。日差しに当てられいたクラウドが少し疲れたようにも見えたけれど、それはそれ、これはこれ。
「クラウドさん、特急料金の支払い、お願いします」
「……何が欲しい」
怪訝な顔でこちらを見る。明らかに身構えた体がこちらを威嚇する。そんなに身構えなくてもいいじゃないかと思いながら、笑いを押し殺したまま顔 を近づけた。
「じゃあ、そうだな……今から俺がキスするから、笑ってくれない?」
「は?」
多分、クラウドにとっては何ギルもの追加料金よりも重たい支払いだろう。ますます深く刻み込まれた眉間の皺に苦笑いし、もう一度口を開いた。
「お前さ、今日何の日か忘れてるだろ?」
「忘れてはいない、けど……っ」
言い終わらないうちに唇に触れる。後頭部に手をまわして抱き寄せた。そのまま背中に滑り落ちた手に力を込め、体勢を崩したクラウドがもたれかかって来る。
「覚えてるけど、仕事優先?」
「……そうだ、よ。今日は、いつもの、ただの一日だ」
体を押しのけながら、照れくさそうに返事をする。
居心地が悪そうに体を逸らし、すこし赤くなった頬を隠すように俯いた。
確かに、ただの一日だ。毎日毎日依頼されたことを淡々とこなす毎日のうちの、一つ。だけどそれは対外的な要素であって、クラウド自身にとっては 大切な日だろう。自分を産んでくれた母親はもうこの世界にはいなくなってしまったけれど、天涯孤独になったわけじゃない。まだ生きているなら、特別な一日にすべきだと思う。
誰もいないなら、俺がその分沢山祝えばいいと思っている。
――つまり、俺にとってもすごく大切な一日だって事だ。
「……今から沢山、祝っていい?」
「恥ずかしいからやめろ」
「じゃあ、その恥ずかしい顔、見せてくれ」
それが報酬。
俺の、今日の報酬だ。
「……っ」
指先で触れた頬は暖かく、柔らかい感触に力が抜ける。なおも恥ずかしそうに顔を逸らそうとするクラウドを引き寄せて、もう一度唇を重ね合わせた。両腕で抱きしめた背中は熱く、力を抜いてこちらに倒れ込む。
「ザックス、だから……」
「割増料金」
「……っ」
本当に素直じゃないんだよ、クラウドは。
そこは俺と全然違う所。
だけど、そこが好きだ。
少しずつ似ている部分が増えてきたけれど、自分と違う所は、それよりもなおいとしい。やめろやめろと繰り返す唇を塞ぎ、体をひっくり返して押し倒す。
「クラウド、誕生日おめでとう」
ぐしゃぐしゃに乱した髪を撫でつけて笑う。俺に組み敷かれた状態のクラウドが顔を上げて起き上がり、髪を直す。照れくさそうに返した顔は久しぶりに見た笑顔。
何年立っても色褪せない、奇跡の先のその笑顔に嬉しくなった。
時計は夜八時を指している。何かごちそうの一つでも食べに行こうと思っていたけれど、後日に後回しだ。あとでティファの店に行けば、確実に誰かが居るだろう。そこからまた、パーティーが始まるさ。
「……ありがとう」
相変わらず不貞腐れたような、恥ずかしそうな顔で緩やかに笑う。それで俺にとっては大儲け。なかなか見せてはくれないクラウドの笑った顔は、いくら大金を積まれたって、見られやしないものだから。
今からだってまだ間に合うだろう?
さあ、特別な一日の始まりだ。
fin