まぶたの上で微かに動く睫毛から目が離せなくなった。草木も眠る夜中3時、汗と何かで汚れた体をベッドに投げ捨てたまま、寝入ってしまったクラ ウドを見つめる空色の瞳が揺れる。
洗っても落ちない、見えない汚れがこびり付いた指の先でクラウドの髪を撫でるザックスの目に光はなかった。
「ごめん」
誰にともなく呟く声は闇に消える。嫌だ、やめろと必死で抵抗する腕を掴み上げた。力を込めて押さえ込むザックスの腕力に精一杯の抵抗をしていたけれど、ソルジャー1stにまで上り詰めたその力には勝ち切ることができず、クラウドの目からゆっくりと零れ落ちた涙の筋。それを拭う間も無いままに終えた行為の跡をザックスはひたすらなぞる。叱られた子犬のようと言えば聞こえはいいが、そんな微笑ましい物では決してなかった。
昼間の戦闘で昂ぶったままの神経が収まらず、医療班に出された鎮静剤も打ちはしたけれど、完全に落ち着くほどではなかった。ザックスの性格なのか体質なのかは本人にもわからないが、戦闘が苛烈になればなるほどそれは長引き、熱を下げる方法を知らないままに自室に篭ってやり過ごす日々。酷い時には一晩中眠れずに体を掻き毟ることもあり、翌日の任務にそのまま赴いた事もあった。それに誰よりも気づいたのは彼の隣で眠るクラウドだったが、必死になって看護しようと肌に触れるその手首を掴んで引き摺り倒し、文字通りの
蹂躙。体格差、力の差、それから思いの差。全てにおいて一般兵の力を上回るザックスに組み伏せられたクラウドは、力なく声を上げて体を捩るほかな かった。
寝返りを打ちながら苦しそうに首筋を掻き毟るクラウドの手をそっと握り、そこにキスを落とす。少しの抵抗の後にフッと力を抜いたその手をシーツの上にゆっくり降ろす。一連の丁寧な動きにはザックスのクラウドに対する申し訳なさと、自分自身に対する情けなさの入り混じった、説明し難い感情が込められていた。
「なんで俺、なぁ」
「……ザッ、クス?」
ゆるりと目を開けたクラウドの瞳に光が差し込む。カーテンの外には月の光。隙間から差し込んだそれを反射して、ゆらりと光るクラウドの視線がザックスに向けられる。
ゆっくり起き上がろうとするクラウドの両肩をそのまま押さえつけたザックスに、一瞬揺らぐ碧色。全く力は込められていないはずのザックスの掌には、ひんやりと汗が滲んでいる。怖がられたら仕方ない、やってしまったことは仕方ない、仕方がないけれど、謝る事だけはせめて。
「ごめんクラウド、俺、」
「……大丈夫だ」
そんなわけないだろ、とザックスは自分の顔を覆った。怖がる唇に丁寧に自分の唇を重ねた。息が上がって火照った体を宥めるように、子供をあやすように一つずつ体を侵食していったつもりだった。硬くなった筋肉が解けるように、緩やかに体から力を抜くようになったクラウドとようやく繋がった時に流した涙と、昨夜のそれは同じだっただろうか。初めての夜も、同じようにクラウドは大丈夫だと緩やかに笑っていたはずだ。
困惑させて、怖がらせて、挙句痛い思いまでさせて自分の熱を下げる必要なんてなかったのに。
「ザックス」
「……はい」
「畏まらなくていい」
寝転んだまま手を伸ばすクラウドに誘われるようにして、体をベッドに潜り込ませる。クラウドの唇がふわりと額に当たり、心地よさに思わず目を閉じた。
「ザックスが辛そうだから、なんとかしたかったんだ」
「……ごめん」
だから、謝るな。笑っているとも怒っているともつかない、抑揚のない声でクラウドが呟く。そのままザックスの頭を胸元に引き寄せて抱きしめたクラ ウドの肌は暖かく、さっきまで酷い苦痛に苛まれて身を捩っていた本人とは思えない穏やかさだった。
「……少し、楽になった?」
「ああ、ごめんクラウド……」
「なら、ごめんじゃないだろ」
気づけばザックスの両腕はクラウドの背中に回されていた。行為の後、シャワーも浴びずにぐったりと横たわったまま動かなくなったクラウドの体の匂いをかぐ。汗と、自分の体液で汚してしまった体に纏わり付く空気にいたたまれなくなったザックスとは対照的に、スゥ、と息を吸ったクラウドの声が頭上から降り注ぐ。
「これで治るなら、それでいいだろ」
「よくない、クラウドにひでえ事した」
「俺が酷いと思ってないから」
戦闘後に眠れない気持ちは、わかる。そう続けて、だからいいんだ、と子どもをあやすように微笑むクラウドの口元はザックスには見えない。それにしたって力、強いな。そう笑ってザックスの前髪を両手でかきあげて、もう一度抱き締める。困惑しながらも感謝の言葉を告げたザックスの心と体が冷えていく。こんなに辛いなら、心なんて凍てついて何も感じなくなってしまえばと何度願っただろうか。しかし今はそうならなくてよかった、と思う。
ザックスの心はまだ人間だった。人間である自分の心が乱れる事、それを良しと赦された。その事実だけで、失わなくてよかったと思った。
置き場のなかった心の所在を、ようやく見つけたような気がした。
fin