広くなくていい、綺麗じゃなくていい、ずっと一緒に生きていけたらそれでいい。それだけが出された最低条件だった。適当に見繕ってきた物件情報をちらっと見てはひざ元にそっと置いて、俺はほんとにどこでもいいんだと笑う。
とはいえ、内覧に誘うたびに二つ返事で隣をついてくるクラウドもさすがに回を追うごとに生活イメージが沸いてきたみたいで、玄関入ってすぐのトイレはいいけど風呂は嫌だとか、玄関口が狭いのはダメだとか、色々と後から口を出してきてようやく落ち着いた部屋を見つけた。言われた通り玄関口が広くて、風呂上がりのタオル一枚で来客と鉢合わせしない間取り。家具だのなんだの最低限の生活環境を整えて、ようやく一息入れられる状態になった。
聞かせてよ
「クラウド、コーヒー飲む?」
「うん」
並んで座ったクリーム色のソファは革製で、新品の匂いがする。引っ越し祝いだとティファやバレットからまとめて送られた。汚すなよ、壊すなよ、高かったんだぞ!と何度も念を押されたからには丁寧に扱うしかないな。
ふう、と小さく息を吐いたクラウドの前髪が揺れる。コーヒーメーカーから聞こえるコポコポに耳を澄ませて、一瞬流れる無言の時間。一分もしないうちにそれを破ったのはいつも通り俺の方だった。多分、無言の時間を耐える訓練があったら、耐えていられなかっただろうな。
「ちょっと寒くなってきたな」
本当は、そんなに寒くなかったけれど。
「まだまだ、こんなのあったかい方だ」
どことなく誇らしげな表情で窓の外に目をやったクラウドに夕焼けが反射する。金色の髪がそれを受けて、オレンジ色に光る。なんとなくその光景が自分の生まれ育った村の景色と重なって、瞬きを二つしてから、コーヒーが落ち切っていることに気が付いた。
「寒いほうが好き?」
マグカップにミルクを入れて手渡し、ソファとクラウドの背中の間に左手を通す。やんわりと体を前に倒して、俺を受け入れてくれることが嬉しかった。そのまま腰に手を回してキュッと抱き寄せると、抵抗もなくこちらへ体を寄せてくる。
「……暑いよりは」
好きというより、慣れてるかもしれない。そう呟いてクラウドはカップに口を付けた。小さく喉を鳴らして飲み込んだ後、まだ指紋もついていないガラステーブル にそれをそっと置く。
「ニブルヘイムは極寒って言うもんなぁ」
「……アイシクルロッジほどじゃないよ」
「そりゃ、あそこよりはなぁ」
少し笑って俺の手にそっと触れてくる。少しだけ湿った温かい手だった。指と指が絡んで、どちらからともなくゆっくり力を込める。
「……家の中が、暖かいから」
とつとつと語り始めるクラウドの親指が、俺の指の間をゆっくりとなぞる。元々そんなに口数の多いタイプではないし、じっくり話し始めたところで流暢に雄弁に語ってくれることもない。だけど、その抑揚のない声と言葉以外でも何か伝えようとする仕草は、たまらなくかわいいと思う。
これは、俺しか知らないクラウドの一部。
ゆっくりと零れてくる一つ一つの言葉に、じっと耳を傾けた。
ニブルヘイムは、夏は涼しくて冬は寒い。アイシクルロッジもそうだとは思うけれど、窓が二重になってて、暖炉とか、ストーブがあるから大丈夫なんだ。ミッドガルではみんな寒い寒いって言ってたけれど、その割に部屋が暖かくなかった。俺にはそれが不思議だったんだ。外が寒いならどうして中を温めないんだろうって。
そこまで言って、またコーヒーを一口。
次の言葉を待っていながら、クラウドの肌が恋しくなった。
アイシクルみたいな観光地じゃないから、旅行者なんてほとんどいない村だった。俺もそうだったけれど、ほとんどの若いやつが村で生まれて外に出て行く。あの村で生きていくなら自分で店を出すか、家畜の世話をするかぐらいしかなくてさ。でもさ、不思議と、こんな村は嫌だって飛び出して言ったやつは、そのうち帰ってくるんだ。
「……クラウドは?」
「俺は……どっちかっていうと、帰りたくなかった」
「あはは、そうだった」
知ってるだろ、とこっちを覗き込んで、頬をちょっと膨らませるクラウドの後頭部に手を回してぐっと引き寄せた。胸元に抱きかかえてみたけれど、特に抵抗されるそぶりもなく。俺の心臓の音が全部聞こえちゃってるかもしれないと思うと、少しだけその鼓動が早鐘を打った。トントンと背中をたたいて促すと、ゆっくりと腰を上げて俺の股の間に割って入って来る。すっぽりとおさまったクラウドの首筋に顔をうずめてそのまま背中から抱きしめて、思いっきり息を吸い 込んだ。
いいにおいがする。
花とかそんな、かわいいもんじゃないけれど。
なんとも言えない柔らかいにおいが鼻腔を上がってくる。無意識に目を閉じて、クラウドの(俺よりは)細い腰を自分の体に引き寄せる。鍛えていても力が入っていなければ同じ人間、伝わってきたぬくもりが体の一部に火を灯す。
くすぐったいよ、と小さくつぶやいたクラウドの両手が俺の腕にまとわりついてきて、両手で俺の腕をほどこうとしてくるけれど、その仕草は決して本気で嫌がってるわけではなかった。どことなく嬉しそうな声につられて、こっちまで嬉しくなってくる。キュ、と掴まれた腕をそっと握り返すと、ふう、と小さく息を吐いた。
「クラウド」
「ん?」
「もっと聴かせて」
自分でそこまで意識したわけではなかったかもしれないけれど、多分、相当甘い声が出たと思う。こんな声、出そうと思ってもなかなか出せないぜ?内心、自分自身がおかしくて仕方なかったけれど、クラウドの優しい声に引っ張られたのなら、それはそれで悪くないな、と思った。
それが伝わったのかどうかはわからないけれど、腕の中で脱力するクラウドも恥ずかしそうに笑って、話せることなんてそんなにないよ、と言葉を紡ぎだす。
「……母さんは、村で一番刺繍が上手かったんだ」
「刺繍?」
「ニブル山、知ってるだろ」
「うん」
二人で一緒に行った、数少ない場所。あの山でとれる草の実とか、花を使って染め物をするんだ。糸を染め上げて、村の広場一面に干す。それを使って、工芸品とかを作ってさ。村の祭りの時は男も女もその刺繍の入った服を着て、歌ったり踊ったりする。だから俺も笛は吹けるんだ。太鼓がどうしてもやりたくなくて、必死で練習した。母さんの縫ってくれた服を着て、笛を吹いて、村の中を歩き回る。おかげで神羅の楽隊研修の時、あんまり苦労しなかったんだ。運指さえ覚えれば、音の出し方は一緒だったから。
「かわいいじゃない、今度着て見せてよ」
「……かわいらしすぎて、あんまり着たくなかったんだ」
でも、ザックスが見たいなら、今度な。消え入りそうな小さな小さな声で、俯いて受け入れる。かわいいと言うと大概ムスッとした顔でこちらを睨んでくる恋人の、貴重な表情だった。
自分の声とは全然違う、クラウドの抑揚のない声が好きだ。少しだけ鼻にかかる、柔らかいけれど掠れたその音がただ耳に心地よかった。クラウドの話す言葉を話を受け入れたいわけじゃなく、ただ、耳に流れ込む感覚に没頭したいと思ったんだ。
俺たち、お互いの事まだ何にも知らないじゃない。
だからもっと、聴きたいと思った。
「ザックスの事も、聞かせてよ」
絡めた両指をいじいじと触りながら、こっちを振り向いた青緑の目に吸い寄せられるようにしてキスをひとつ。くたっと俺の体に寄りかかって、心地よさそうに目 を閉じる。
ああそうか、もう、睫の先まで俺の手の中だ。
とはいえ、何を話せばいいんだろう。クラウドの生まれ育った町とは正反対で、穏やかな伝統工芸なんてないような村だった。朝早くに村の人間 が沢山海に出て一斉に帰ってくる。村の女は飯を作って待ち構えてて、大量に作った食べ物をみんなで配って、食べて、帰って。網の手入れをしたり、猟師の取ってきた獣を掻っ捌 いたり、それの繰り返し。
ニブルと同じかな、あの村で生きていくなら自分で店を出すか漁師になるかぐらいしかない。あとは…うん、夏場の水道はめちゃくちゃ生暖かいし、海が近いから潮風で髪がバシバシになっちゃうんだ。だから子供はみんな坊主だった。
「ザックスも坊主だった?」
「俺は潮風なんかに負けたくなくて、必死で伸ばしてたぜ」
「だからそんなツンツン頭になったんだな」
それは関係ないだろ!と、勢い任せに抱きかかえたままのわき腹をくすぐった。身をよじって笑うクラウドを羽交い絞めにして、なおも攻撃を続ける。やめろ、離せと荒げた声ですら、愛おしい。
「あ、海岸でとれるシーグラスだとか、流木を拾って行商に売りつけたりしてたな」
「シーグラス?」
「ガラスの破片が波で削られて、なんて言えばいいのかな…いい感じになる」
いい感じになる。同じ言葉を続けたクラウドが、窓の外に目をやった。どんな感じなんだろうって、考えてるんだろうか。言葉じゃ説明出来ない、曇った不思議な宝石。ガキの頃初めて見つけた時は自分が世界一の大金持ちになったように思えたぐらい、綺麗に見えたっけ。
どこにでも落ちてるものだと理解したころにはもう、いつか村を出ていこうと決めていた。
それでも、海は好きだった。温かい海だからか、魚もなんか派手なやつが多くてさ。その皮でつくった太鼓をたたいて遊んでたよ。全員がデタラメに叩くんだけど、結構いい感じになったりして。なんでだろうなぁ、一続きなんだけど、ジュノンの海はあんまり好きにはなれなかった。
「冷たかったから?」
「……ああーそれあるかも、カンセルに蹴り落された時マジで凍死するかと思った!」
カラカラと声を上げて笑うクラウドにつられて一緒に笑った後、ふと視線を足元に落とす。クラウドの足指、つま先、綺麗な形。心地よさそうに 自分に体を預けて目を伏せる恋人のまだまだ知らない話を、ずっと聞いていたいと思った。
「ゴンガガにも行きたいな」
一緒にさ、と続ける。
反射的に、なーんもないところだよ、と返す。
それから口を同時に開いて、全くおんなじ言葉を吐いた。
「ここだって、まだ何もないよ」
「ここだって、まだ何もないけどな」
それ以上の言葉は何も出てこなかった。お互いに寄りかかった肌が温かくて心地良い。熱が頭の先からつま先まで下がっていく感覚にゆっくりと目を閉じて、これからの事を考える。
色んな事、色んな思い出、いっぱい増やしていこう。
この先に何があっても大丈夫なように。
fin