さよならまぼろしのひだりて


遠い遠い、よその星の存在だと思っていた。すぐに機嫌が悪くなるポンコツテレビの向こうに存在する英雄の、自分自身に向けられたカメラやマイクをつまらなさそうに一瞥する視線が妙に気になった。
「なんでそんなにつまんない顔してんだ?」
思わず口をついて出た言葉を聞かれていたかのように、画面越しに目が合ったような気がした。

 ソルジャーになればすぐ会えると思ってたけれど、当然本物の英雄にそうそうお目にかかることなんてなかった。というか、2ndに昇格したってい うのに、まだ一度も現物に会った事なんてない。俺よりデカい、俺より髪長い、あと顔が超綺麗。すっげえ強い。それぐらいしか自分の知ってる事なんてないけれど、ガキの頃にテレビで見た英雄は確かに存在する、と言う現実。
 だったら会ってみたい、確認したい、それで自分から名乗って握手求めて、それから友達になれたらいいな、なんて呑気に考え続けている。PHSの番号交換なんて出来るだろうか?メールのやりとりする?並んで写真取れたら、さすがに待ち受け画像にしちゃうかもしれないぞ。クラスは違えど立場は同じソルジャー、いつかそんなことがあっちゃうかもしれないな……なんて空想を巡らせては、笑いを噛み殺して空を見る。うん、今日もいい天気だ。だからきっと、良いことがある。
なんとなくそんな確信を持ったまま、気が付けばウータイを一人で鎮圧していた。

 それから数時間の事をゆっくりと反芻する。統括を逃がした先で突如現れたのは召喚獣イフリートだった。業火をまき散らしながら伸びてくる腕や足を必死で振り払って一閃、倒した自分に安心と慢心を覚えながら軽く背中を向けたのが間違いだった。それに関しては結構反省している。いつもアンジールに詰めが甘い、って言われていた事をまさにやっちまったわけだ。
慌てて剣を構えなおした瞬間にはもう、目の前に炎が迫っていた。  
そのちょっと前にウータイで痛い目にあったばっかりだってのに、やらかした。
 それでも逃げられる状況に非ず、体の内側から吹き出した冷や汗で体が固まるかと思った瞬間――俺の横を通り過ぎる、さらに冷たい風に視線が流れた。

 瞬きを一つだけしたら、それで終わってしまった。
 両手を精一杯伸ばしたってまだ先っちょに届かなさそうな剣を構えた、髪の長い大男が立っている。振り払われた剣先には残り火が尾を引いていて、一瞬のうちにかき消えた。
――英雄、セフィロス。
 いきなり現れて俺を助けた英雄は、そのまま何事もなかったなのように俺の隣を通り過ぎる。何か言わなきゃと思って立ち上がり、背後に手を伸ばそうとした瞬間にこちらを一瞥したセフィロスの表情は、靡いた前髪でよく見えなかった。  
 なんて言えばいいんだろう、お礼……そう、まずはお礼だよな。それなら自分の名前を名乗って、電話番号交換して、写メ撮って、それから――
「お前がザックスか」
「ふぇ!?」
 英雄様の予想外の言動に驚いて、とんでもない声が出た気がする。まさか向こうから声を掛けてくれるだなんて一ミリも想像していなかったし、それも、俺自身の名前を呼んでくれるだなんて。想定外も想定外、まるで釣り上げられた魚みたいに口をぱくぱくしている自覚まであった。意中の相手に声をかけられた女の子みたいな、えらくかわいらしい声で返事をした気がする。それから我に返って、ゆっくりと歩き続けるセフィロスの背中を追いかけ た。
「あ、あの……っ、なあ!あんたセフィロスだろ?」
「ああ」
「あのさ、なんで俺の事知ってんの!?」
「アンジールから聞いていたからな……子犬のザックス」
 振り返りざまにそう呟いた声は低く、穏やかだった。顔の半分だけしか見えなかったけれど、気のせいかもしれないけど、それでも、ほんの少しだけ、微笑んでくれたような気がした。
うわあ、俺、今、英雄と会話が成り立ってる!
 なんとなくのイメージで、初対面の人間と気軽に話したりする事なんてないと思っていた。もっと無口で怖いやつなんだろうなって。だけど、いざ話しかけてみると案外そうじゃなかった。確かに口数は少ないし、背は高いし、威圧感はものすごくある。だけど、俺の名前を知っていてくれたし(サンキューアンジール!)、こちらから話しかければ、一つずつ返事をくれる。
召喚獣の顕現で張り巡らされた虚像の世界が剥がれ落ちる。元居たウータイの森の中に放り出された瞬間、何度も何度も頭の中でイメージトレーニング を繰り返したシチュエーションを再現しようと心に決めた。
「なぁ、セフィロス!」
「ん?」
「あの、握手してくれよ。せっかく会えたんだし」
 数秒間の沈黙の後、立ち止まったセフィロスがこちらに向き直る。バチンと目が合って、確信した。
――俺、多分、こいつとなら仲良くなれる気がする!
 ズボンで掌を擦り、右手をピッと差し出した。ほぼ同時にセフィロスが伸ばした手に違和感を覚える。その瞬間、俺の目線の先で何かがバタバタと 倒れる音がした。一瞬でお互いが我に返りそちらへ向くと、見覚えのない姿かたちの兵士が三人、倒れ込んでいた。振り返ってそちらに足を向けるセフィロスの髪に絡めとられないように少しだけ距離を置いて、後を追う。
あーあ、握手、しそびれちゃったな。
 ……なんて、そんな事を決して口に出しはしないけれど、タイミング一つを逃してしまったばっかりにそのまま指先にすら触れる事もないまま日は過ぎる。

 不穏な空気の中、次々と降りてくる出撃命令に従う日々を過ごしていた。つまらなさそうな顔をしている英雄は、案外笑ってくれる事に気が付いた。 俺から話しかければ相手してくれる、時々アンジールに内緒で悪いことを教えてくれる。だけど戦場に立てばまるで別人みたいに剣を振るう。ただの憧れとして、その姿を見ているだけで良かった。PHSのアドレスも交換した。任務の時しか連絡はくれなかったけれど、一度だけ、長期任務で数日ミッ ドガルを離れたときだけは、元気か?って、聞いてくれたんだ。
まあ、セフィロスはあんまり元気そうではなかったけどね。
 それでも、一番最初の目標「まずは握手!」だけが達成されないまま時間だけが過ぎていく。
そばにいてほしい奴がいなくなって、救いたい奴すらうまく救いきれない俺に残ったのは、結局誰だったんだろう。


* * *


 吹っ飛ばされて叩きつけられたポッドの上で息を整えるだけだった。ぼやけた視界と薄れる意識の中、風で後方に流れ行く髪の長さを何度も思い出 す。目の前で長刀を構えたセフィロスの目は冷たく、まるであの時の事なんて全く覚えちゃいないようにさえ見えた。
「セフィロス……」
 脳裏に浮かぶ、初めて会った時の事。その時からずっと抱えていた違和感。今になって、ようやくそれに気が付いた。
 左手に構えられた正宗の切っ先 にブレはなく、意思の揺らぎも見えず、もう俺を振り返って微笑んではくれないんだな、と。目を見た瞬間に、そう、確信してしまった。

 あの時俺が握手しようと差し出した右手に相対していたのは、セフィロスの左手だった。セフィロスが神羅屋敷の地下に下りた瞬間、その一点で、決定的に噛み合わない何かが起きてしまった。だからあいつはニブルヘイムを焼いた。何があったかなんて知らない。教えてくれさえすればきっと助けてやれたはずだ。だけど、あいつは俺を頼ってはくれなかった。
俺はあいつに何でも話したかったけれど、あいつはそうじゃなかった、ただそれだけの事。
ただそれだけでこうなってしまったんだと思っていた。
いや、思いたかった。
「なんで、なんでだよ……」
 思えば、最初からそこまでの関係だったんだ。握手しようと出した手が合わなかった。その時点で俺たちはどうあがいても理想の関係でいられないと決まってしまっていた。最初から、そういう風にしかなれないと決まっていたんだ。
それをただの親友として、それだけで悔しいと思いたかった。
だけどもう、そんな風には思えない。
 親友でありたかった。英雄で、親友だと思っていた。ただそれだけを信じ続けていられなかった自分自身に残る後悔を植え付けた主が、重たい足取りで目の前を通り過ぎて行く。
「わかんねえよ……もう、何もわからねえ」
 だけど、とどめを刺さなきゃいけない事だけはわかる。あいつは許されない事をしてしまった。けれど、全身を打ち付けた痛みはそう簡単に俺を起き上がらせてはくれず、フラフラと階段に歩み寄るクラウドに、振り絞った声でそれを告げる。

 俺よりデカい、俺より髪長い、あと顔が超綺麗。すっげえ強い。それから、ずっとつまらなさそうな顔をしていた英雄セフィロスが、その左手で火を放ったその瞬間、この階段の先で見たものに声をかけた瞬間、そして俺の横を通り過ぎた今。どんな顔をしていたのかなんて、俺にはさっぱりわからな いんだ。
――願わくば、今もつまらなさそうな顔をしていますように。
絶対に、嬉しそうな顔なんて見せないでくれないか。
俺が触れたいと願った手で引き起こしたこんな所業を、どうか楽しいだなんて、思わないでくれ。
痛む右手をゆっくりと握りしめて、それからもう一度脱力する。

さよなら、一度だって触れることのなかった左手。





fin