子犬の願いが叶うと良い

「広報部からの依頼だ、一応形式的にだけでも頼むよ」
 緩やかに笑う統括から手渡されたのは、何も書かれていない長方形の紙だった。えらくかわいらしい紐飾りのついたそれにピンと来ず一瞬困ったけれ ど、ふと視界の端に入ったカレンダーのおかげですぐに正体に気づく。隣で怪訝な顔をするセフィロスの手には色違いの同じものが乗せられていて、その眉間には薄く皺が寄っていた。
「セフィロス、アレだ、七夕だ。 願い事書くやつ」
「願い事などないな」
「言うと思った」
 予想通りの言葉を返してきたその顔を見ると、さっきと微塵も変わらない表情のままで笑いそうになる。心底迷惑とか、本気でイヤって感じではない けれど、どちらかと言うと困っているような、そんな複雑な目。言いたいことはすごくわかるけれど、悲しいかな軍人とは言え俺たちは神羅カンパニー 私設軍隊の一人。そう、つまり会社員だ。上の言う事にはある程度従わないと、明日からどうなるかはわからない。
「適当で良いって統括も言ってたじゃない」
「……とは言われてもな」
 神羅の誇る英雄様のそういう困った顔が時々見られるのは、ある意味ソルジャーの特権かもしれないと思う。腹の中ではそれが少しだけ嬉しくなるのは誰にも内緒だ。
なんとか頼むと言われたって、俺の願い事なんて後にも先にも一つしかない。その辺に転がっているペンを手に取って、思うがまま書き殴った。相変わらず汚い字だな、なんて隣から聞こえても知らないフリ。そのままセフィロス本人にもペンを手渡してみたけれど、案の定、小さくため息をついてそれ を制止される。
「お前に任せる」
 素直に受け取らず、逆に短冊を押し付けられた。そのままくるりと背を向けてブリーフィングルームから出て行こうとする英雄サマ。勝手だとは思わないけれど、まあ、自由だなあ、とは思う。
「セフィロス、待てって」
 手渡された白紙のそれに視線を落としつつ呆気に取られて固まってしまったけれど、慌てて我に返り、コートの端っこを掴んで引き留めた。レザーに皺が寄る。不満そうに振り返った表情は相変わらず難しいままで、デカい駄々っ子みたいだった。やりたくないって決めたら、絶対にやらない英雄。そして英雄であるばっかりに、大体の事がそれで許される。
 だからお前、そういうとこだぞっていつも言ってるだろうに。
 適当で良いって言われたじゃない。手抜きはダメ?あ、そう。じゃあ余計自分で書けよ。
「とにかく、統括が直々に渡してきたんだから自分でちゃんと書けよな!」
「……」
 結局セフィロスはウンともスンとも言わないままだった。無理矢理押し付けた短冊を渋々受け取り、返事もしないままその場を離れて行く。銀髪を見送って、軽くため息をついた。
 これが、つい三日ほど前の事。

    *

 神羅ビルの屋上で見る空は、手を伸ばせば簡単に掴めそうな程近くに星が見える。魔晄炉に照らされた夜空なんて決して綺麗じゃないなんて言うやつもいるけれど、俺は別にそんなに悪いとは思わない。
「ザックス」
「んあ……ああ、お疲れ」
 揺れる銀色と目が合った瞬間、頭をよぎる短冊のあれこれ。なんて書いた?って、一言発してしまえば済む話ではあるけれど、くるくると辺りを照らす照空灯に見え隠れするセフィロスの表情を掴み取れず、少し様子窺いに徹しようと決めた。
 そろって手すりにもたれかかる。見下ろす街路には人がちらほらと歩いていて、その気になれば一人一人の表情まで見える程、街灯は明るく照っている。だけどその中の誰も俺たちの存在には気づいていない。神様にでもなったような、存在を認めてもらえないような。どっちつかずの不思議な時間 だった。
「七夕だなぁ」
「あまりなじみはない」
「わかる。 話では知ってるけど、この時期のゴンガガもまだ雨季真っ最中だ」
それにしたって。
七夕の話って何回聞いてもひでえな、と思う。
「そうなのか」
「ひでえよ」
 そりゃあ色恋にかまけて自分の仕事サボるのは勿論よくないと思うけれど、それでもさ。せっかく出会った相手に年に一回しか会えなくなるって、ひどいと思わねえ?
「俺なら父親の目盗んででも会いに行くと思うぜ。川なんて泳いで渡ればいいし、隠れた恋ってのもなんか、いいじゃない」
「星の集まりだ、泳いで渡る発想がそもそも前提として間違っているだろう。 それに、父親の言いつけを守るのは当然だ」
「んー……まあ、そりゃそうだけどさ」
 セフィロスの口からそんな言葉が出ることに一瞬驚いたけれど、当然でもあるか、と思い直す。
神羅の英雄は、言葉通り神羅の象徴だ。イメージ維持のために言われた通りに行動するのが常なら、言い伝えのおとぎ話ですらそういう風にとらえたっ て仕方ない。
それでも。
「でもさあ、それでもその言いつけ破ってでもやりたい事とか、あるだろ」
 セフィロス自身にそう言う感情があると、俺は信じてる。信じたいと思ってる。心の中では言えても、実際には発せられない程度ではあるけど……あるだろうよ、そういう事。
「……その時は、父を殺せばいい」
「上官どのー、じょーちょ! 情緒を大事にしろってそこは! 」
 瞬発的に突っ込みをいれると、フ、と笑って躱された。それでなんとなく察して、つられて一緒に笑う。英雄なりの御冗談を一緒に笑わないなんて、 失礼だからな。
ああ冗談だ、と短く付け加えたセフィロスがコートに入れていたままの手をスッと降ろす。無言で街並みを見下ろす顔がライトに照らされたかと思えば、光が通り過ぎたほんの一瞬で影が落ちる。ただそれだけを繰り返し見続けているうちに、さっきからずっと我慢していた事――セフィロスの願い事がなんだったのか。それを知りたい気持ちがこらえきれなくなっていく。
「セフィロス……短冊、なんて書いた?」
「もう燃やしただろう」
「そうだけど」
「お前は?」
 ザックス、お前はなんて書いたんだ。
 振り向いて俺を見据える不思議な色の瞳と目が合った。口元は緩くカーブを描いているし、目尻は穏やかだ。決して自分の書いた内容を教えたくない わけではなさそうだったけれど、それでもうまくはぐらかしそうな顔。結局最後まで教えてもらえないような、そんな気がする。
「……お、俺は勿論、英雄になるって書いたぜ」
「なるほど」
 柔く笑い、それから無言で背中を返す。
 その場を後にしようとするセフィロスをこの間みたいに捕まえてしまおうか迷った。捕まえたら、なんて書いたか教えてくれるだろうか。風当たりは 強くない。言葉はやわらかい。だけど、どことなく回答を拒否されているような気がして、それ以上声をかけられないまま立ちすくむ。
「……ああ、そうだ、ザックス」
 くるりと振り返る長髪が風で揺れる。照空灯の反射に思わず目を閉じた。
「これを捨てておいてくれ」
「はあ?」
「いらないものだ」  
「なんだよそれ……りょーかい」
 投げてよこされた、くちゃくちゃに丸められた紙切れをキャッチする。反射的に手の内に握りしめ、揺れる銀色の髪を黙って見送った。
「なんだよ、結局教えてくれねえのな……って、あ、これ」
 誰ともなしに呟いて、掌をそっと開くと同時に気づいた。小さく丸められてしまったそれは、先日統括がセフィロスに手渡した紙と同じ色。
――もしかして。
 ふと思い立って、丁寧にそれを広げていく。書かれていた文字は字体そのものがセフィロスみたいに思える程流麗だった。俺が情熱のまま殴り書いた 汚い文字と比べて、随分丁寧に書いているような、そんな気がする。
 ああ、こういうとこなんだな、と苦笑いが漏れた。端々が破れてしまっているそれに記された内容を認識した瞬間、沸き上がる笑いがこらえきれなくなって走り出す。
「なんだよもう! こんなのちゃんと飾れっつーの! おいセフィロス!」
 屋上扉を開き、こちらを振り返らずに去ろうとするセフィロス目掛けて、背後から全力で抱き着いた。

(子犬の願いが叶うといい)




fin