持つべきもの
ソルジャーは簡単には死なない?そんな事はわかってる。
副作用で既に殺しにかかって来る魔晄と体の中で何度も殴り合って作り上げた体には、時々不具合が出るとは言え、文字通り人間離れした回復力と耐久力がついた。
ある程度の傷は数分で治癒するし、一般兵ならおよそ助からないだろうって程の怪我でさえ、生き延びたやつを何人も見てきている。
俺だってその一人で、多少の砲撃だの魔法だのにビビるような事はない。一発当てられる前に斬り伏せればいいだけだ。神羅に対する脅威を全て切り捨てる。
そのために、呼ばれた。
それを前提に、この地獄に降り立った。
持つべきもの
招集から出撃までの猶予もあまりないまま、最低限の装備支度を整えてヘリから飛び降りた。眼下には交戦中の神羅軍とウータイ軍。あちこちで聞こえる自動小銃の無機質な発砲音と、風が吹けば舞い上がる砂ぼこりに思わず目を閉じた。
多少は夜目の効くソルジャーとはいえ、夜間強襲なんかに駆り出されたって事に不満がないわけではない。正直、卑怯じゃないかとすら思った程だ。 別に今から戦争を開始します、はいやめ。なんて案内が響き渡るわけではないけれど、毎日ある一定の時間になるとどちらからともなく戦いをやめて、野営地へ戻っていく。それじゃ駄目なのかとえらそうな奴に聞いてみたけれど、お前はまだ甘いと笑われた。
「ご苦労、ああ、ソルジャーか。クラスは……ふん、1stだな」
「……1st、です」
「とっとと片づけろよ、お前たちに掛けた金額位の働きをするのは当然だ」
先日指揮官に着任した男が背後から声を掛けて来た。俺を甘いと大声で笑う割に、戦場に降り立つのは状況が落ち着いた時間ばかり。初めて見たその瞬間に、ああ多分こいつはダメだ、と感じたのは間違いじゃなかったみたいだ。名前は確かハイデッカー。俺ですら覚えているって言うのに、少数精鋭のソルジャー一人の名前ですらいまだに憶えていないような奴だ。
「さっさと行かんか!」
「……あ、二時の方向の狙撃銃が動いた。狙われてるぜ、あんた」
「なっ……は、早く殺せ!」
――そいつ、つい40秒前に爆散したけどな。
銃だけ残して、撃ち手がいなくなっちまったみたいだ。
「あー……大丈夫そうっすね。残念です」
「お、おどろかせおって!」
見た目と態度はデカいわりに、肝っ玉の小さい奴だとわかっただけで少し気が軽くなる。
「……で、指揮官殿、なんかあったんすか」
「おおそうだそうだ、お前、ケアルを頼む」
ふんぞり返った体から突き出た太短く不細工な指先がほんの少し切れて、うっすら血が滲んでいた。
「レーションの缶の縁で切ったんだ、煩わしくてかなわん」
なんとか堪えはしたけれど、無能な指揮官が何を言っているか全く理解できなかった。
――ああ、ここが戦場じゃなければ、全力で右頬辺りにグーで突っ込みを入れただろうな。
目の前に散らばっている自軍の兵士の惨状が全く目に映っていないのか。一時的に落ち着いているとはいえ、あちこちに飛び散る残骸と崩壊した家屋、おそらくその下にまだ埋まったままだろう、誰かの指先を想像出来ないのかよ。
たかだか自分の腹ごしらえのために起こした不注意で出来た屁みたいなものの為に、一体何を。
「……痛いんですか、それ」
「痛くなんかない!ただうっとうしいだけだ!」
それでも上官は上官だ。一発殴ろうものなら始末書程度じゃ済まないだろう。
怒られる程度で済むならまだいい方で、下手すりゃ即刻クビだ。
地面に伏せ、もしも心の思うがままに殴った場合の色んなパターンを計算しながら敵の動向を見極めつつ、仕方なしに、本当に仕方なしに返答する。
「……悪いな指揮官、俺、ちりょうマテリアを持ってないんだ」
「まさか紛失か?それとも忘れたのか……ソルジャーともあろうもんが!」
「さっきから声が大きいんだよあんた。敵に聞こえるぜ」
呆れる程くだらない理由で、本来敵へ向ける集中力を乱された。当然語気は強くなる。理由もわからずに言いたいことを吐き散らかすハイデッカーでもさすがに何かを察したみたいで、慌てて口を噤んだ。
ソルジャーはちりょうマテリアを持たない奴が多い。大企業神羅の私設軍隊、配給品は勿論金に物を言わせて沢山用意されてはいるけれど、その中でも一番使用頻度が高いのがちりょうマテリアらしい。
当然、衛生兵や世界中の町に駐留する一般兵からも支給依頼が多い。加えて俺たちソルジャーは傷の治りも早く、やられる前に片づけることが当たり前。つまり、あまり使うことがないってわけだ。
だから入手しても優先度の高い一般兵に譲ることがほとんどだ。俺自身も稀に手元に届くそれは部下に回してばっかりで、今だって、本当に持ってはいない。
そんな事も知らない指揮官じゃあ、先は長くないだろうな。
鼻息荒く野営に戻っていくデカブツにこっそり振り返って中指を立てる。そんな事にも気づかない程度の、指揮官様だった。
「伝令です、ザックスさん。あと十分後……フタサンマルマルに、行動開始するとの事」
「りょーかい」
「あの、ちょっと話しても?」
「いいよ、手短にな」
「……ハイデッカー殿がケアルをかけろと……」
「あー来た来た、腹立つよなーあいつ。唾付けときゃ治るっつーの、な」
「……はい、自分もそう思います」
伝令係を買って出てまで愚痴りに来たとわかって、少しだけ笑う。
俺も、伝令の一般兵にも、まだ笑える余裕があった。
「ソルジャー、ザックス。お気をつけて」
「さんきゅ。お前もな」
「は!では失礼いたします!」
横目で綺麗に整った敬礼を見送って、左腕に装着したタイマーを確認した。そよそよと吹く風で半分焦げた木が揺れる。戦争なんかしていなかったら、気持ちのいい夜だっただろう。そんなことを思いながらもふと二時の方向に目をやった瞬間。
「おい!伏せろ!!」
「あ……っ」
音もなく、つい今の今俺と笑った人間の胸部を弾が貫いた。敬礼を降ろしかけた一般兵の右手がそのままだらりと崩れ落ち、膝をつく。バタリと倒れ込んだ体に慌てて駆け寄り、抱きあげて近くの茂みに飛び込んだ。
狙撃手だ。死んでなかったかもしくは、別の奴がこっちを見据えていた。
あのクソみたいな指揮官に邪魔されて見落とした――いや、これは完全に俺の落ち度だ。それ以外に、言い訳はない。
「おい、大丈夫か!おい……この野郎、起きろ!じゃなきゃお前の……お前、の」
赤黒い液体が口元を伝って兵服を汚す。片腕で抱き込んだ体を出来るだけ揺さぶらないようにして地面にそっと寝かせた。辺りは暗い夜だとしてもその顔色は悪く、持ってあと数分だろうか。
自分自身が引き起こした失態だ。死ぬ必要のない命だ。当たっていたのが俺だったらこんな事はならなかった。どうせ当てるなら……。
どんどん奪われていく正常な思考と、体の熱。ちらりと見たタイマーが予定時間までのわずかな猶予を告げる。
「ザッ、クス……ご、御武運、を」
「ふざけんな!起きろ!今すぐ起きないとお前の家族を……!」
遠くで聞こえる喧騒と爆発音が、反射的に浮足立った意識を引きずり戻す。
家族を。彼女の体を。娘の?息子の?母親の?父親の?何をどうしてやろうか。
「くっそ……マテリア、持ってねえつってんだろ……」
言わなきゃいけない言葉があった。いつか言う日が来ると思っていた。
出来れば来ないでくれとずっと願ってた。
「なあ、なんか言えよ……俺に暴言を吐かせんじゃねえ……」
死を目前にする奴の前で嘆きの言葉や励ましの言葉を吐いてはいけない。安心して死なせてはいけない。できるだけ汚い言葉で罵倒して、相手の怒りを出来るだけ増幅させろ。生命力に繋げ。そのあと殴られたら、笑って感謝しろと返せ。
バカとかマヌケとか死にぞこない、なんて言葉ならまだ可愛い方で、じゃあどんなものだと言われたら、それこそ口を噤みたくなるような言葉を並べ立てて初めて、その行動理由は成立する。
成立、させなきゃいけない。
いけなかったけれど。
「そんな事、嘘だとしても言えるわけねえよ……」
いよいよ動かなくなった首元。血で濡れる識別表を確認し、回収する。
それから、できるだけ優しく目を閉じてやった。自分のグローブを外して触れる余裕は、なかった。
* * *
「おお、ソルジャー!丁度いいところにいた」
相も変わらずでかい態度と図体で呼ばれた気がして振り返る。あれから数週間、指揮官着任から一ヶ月も立とうとしているのに、一向に部下の名前を覚えない。そんな噂でソルジャーフロアはむせ返りそうになっていた。
「ケアルをかけてくれ、コーヒーを指にかけてしまって、水ぶくれができたんでな」
差し出された指先に、あの日の事を思い出す。
あれ以来、必ず持ち歩くようになったものがある。言うまでもなくちりょうマテリアだ。もしも俺があの時これを持っていたなら、伝令に来てくれたあいつは助けられたかもしれない。心臓ど真ん中をぶち抜かれていたから、そもそも無理だったのかもしれないけれど、それでも、もしかしたら。
――いつまでも悩んでいられない事はわかってる。
「俺の名前言えたら、かけますよーなんつって」
「なっ……ふ、不敬だ!」
腹は立つし、かけてなんてやりたくはなかったけれど、あの日、ライフストリームに還るその手がそっと差し出してくれたマテリアを手にクソ指揮官に向き合った。
「いい加減覚えろよ指揮官……俺はザックス。ソルジャー・クラス1stだ」
fin