電子の海でまたいつか

 力技で押し倒せさえすればなんとかなると思ったんだ。無理だったら後ろから飛びついて、ベルトも引き抜いて噛みついてしまえば大丈夫。全力で嫌がられたらどうしよう?そうなったら、お願いするしかないと思う。
 なんだかんだ言ったって俺だ、頼られたら引き受けちゃう奴だ、情に厚い奴だって 事は俺が一番良く知ってる。
 だって俺だろ? 俺の事を俺がわかんないわけないじゃんって、そう思ってた。思ってたけど――
「……あれ?」
「十年早い」
 あっさり摘ままれて、放り投げられた。
「いってえぇ! なにすんだよぉ!」
 ぶんなげられてひっくり返る。
「こっちのセリフだ! 何が悲しくて……」
 思いっきりぶつけた頭を押さえながら起き上がり、自分と全く同じ顔の奴に向かって声を上げた。間髪入れずに罵り返されて、面食らう。
 眉間にしわを寄せ、思いっきり口をとがらせて組んだ腕は俺よりちょっと太くてかっこいい。伸びた後ろ髪が肩を通り越して、その先でぴんぴん跳ねている。前髪まで後ろに流し、隠す物のない額と眉。空色の目はだけはお揃いだなぁなんて思えば、怒られてるとわかっていたって嬉しくなってしまう。
 いいなあ、かっこいいなあオレ。背も高いし、胸板も厚い。とんがった唇だって強そうでいい。触りたい。セカンドのオレはまだそうなれてないんだ、せめて触れるぐらいさせてほしい。そう思って手を伸ばす。
「だーから……こっちくんなって……!」
 同時に一歩後ずさった背の高い方のオレが苦笑いでもう一歩後ずさる。半笑いのような苦笑いのような、いい加減な態度に少し腹が立つ。せっかく会えたって言うのにどうしてそんなに他人行儀なんだよ、オレはずっと、あんたに会いたかったのに。
「なあ!」
「うわっ」
 めげずにもう一歩踏み出し、引っ掴んだ両頬をむりやり引き寄せる。オレの手を振りほどこうとしたデカいオレは、勢い余ってその場に尻もちをついた。そのまま覆いかぶさるような形で前のめりに倒れ込んでしまう瞬間、地面に両膝をぶつける痛みを覚悟したけど――下敷きになったデカいオレのおかげで、痛みは感じなかった。
「ちょ、近い近い! 離れろよ!」
 ほんの少しの苛立ちとごまかしを含んだ声。
 全力で引き剥がされそうになりながらもう一度手を伸ばせば、さっきより少し抵抗が弱くなった。
 ああ、そうそう。押しに弱いのも良くわかる。だってオレじゃん、そうなるに決まってる。オレは自分の事、全部知ってんだもん。
「オレ、あんたにもう一回会いたかったんだ」
「……」
「あの時あんた、オレの頭撫でてくれたじゃん」
「……それは確かに、記憶にあるけど」
「もしかしてあんた、オレの事嫌い? いやそんなはずないよな……?」
 無意識に傾げた首の、少し上あたりに前髪が触れる。いつかどこかで出会って、剣を交えて、それから突然会えなくなった自分。大きな手で頭を撫でてくれた姿にもう一度会いたいと何度も思った。だから、走ってみた。時々休憩して、また走って、走って――でも、会う事は出来なかった。電子の海には、行き止まりってやつが存在しなかったんだ。
 それがさっき、突然目の前に現れた。どうしてだろうと思ったけど、オレにもデカいオレにも理由はさっぱりわからない。
 こんなんだったら走らなくてよかったんじゃないか、オレ。
 待ってりゃよかったじゃん、オレ。
 頭のなかをぐるぐると色んな言葉が駆け巡ったけど、とにかく、今はそれどころの話 じゃない。
「オレはこんなに会いたかったんだぜ! なのにあんた、なんでそんな冷たいの?」
「俺に会いたかった? なんで」
「なんでって……うーん……あ、体もデカいし背も高いし、どうしたらそんな風になれるか知りたかったんだ!」
 絶対今思いついただろ、と面倒くさそうな顔で視線を逸らし、押し退けられそうになる。重いからどいてくれ、なんて冷たい言葉を言いながら揺れる瞳孔。空色の目にうっすらある光に、なぜか少しだけ鼻の先がツンと痛くなった。
「……俺も強くなりたいんだ」
「それは知ってる」
「体、もっと大きくして……力つけてさ」
「……それも知ってる」
 上半身を後ろ手に支えた自分に、そっと触ってみる。
「ここ、腹の所とか……」
 なんとなく直に触れたくなってニットをたくし上げる。一瞬躊躇した少し先の自分自身に手首を掴まれたけど、その指先にはなぜか力は入ってない。
「……触っていい?」
 小さく左右に首を振られても気付かないふり。どけよ、と小さく呟かれたけど、それも聞こえないふり。その気になれば剣はすぐに背負える、防具だってすぐに付けられる。そんな訳の分からないデータの底で今自分が一番何をしたいかって考えたら――そうだ。
 オレは、いつかたどり着くだろう自分に、ちゃんと触れたいと思ったんだ。

 ずり上げたニットの下には硬くて温かい肌があった。そっと筋肉に触れると、頭の上からごくりと喉が鳴る。押し殺すような声でやめろと否定されたけど、多分、やめなくていいんだと思う。
 無理矢理オレを押しのけようとする手はどこか優しくて、ぐい、と体を押し付けてしまえば無抵抗。何かを諦めたよ うに、その腕はだらりと床に放り出された。
「なあ、触っていい?」
「もう触ってるじゃん……」
「あ、ありがと……」
 今になって恥ずかしさが込み上げる。だけど触れることを許してもらえたからだろうか、同時に胸がどきどきして息が上がりそうだ。すりすりと肌を撫で上げると、誤魔化すように小さく咳払いを一つして、ぷいっと向こうに顔を背ける。
 ああそうか、多分オレは今、すごく興奮しているんだ。
 それで、デカいオレはちょっと緊張してる。
 もう一度臍の上に指を滑らせれば指先をキュッと縮こまらせ、半開きの唇から短い息が漏れる。相変わらず後ろ手で支えた体を動かしもせず微かに力の入った腹筋を撫で上げた。
「……っ」
「くすぐったい?」
「いや……大丈夫、だけど」
 それだけ言って、目の前のオレがふと目を伏せる。なんだか楽しくなって体勢を整え直し、両手でさわさわとあちこちを撫でてみる。体を支えていた腕の片方で頭をやんわりと押し退けられそうになったけど、今更そんな手に素直に従う気はなくなった。
 だって――だって、なんかすげえ楽しいんだもん!

    *

 気が付けばデータの上に立っていた。作られた体だって言う自覚もあった。持ってきたのはそれまでの記憶と装備だけだ。手を握ればその内側に籠る熱もあるし、頬を抓ればちょっと痛い感覚もあった。
 痛覚も触覚もある。作り物だってこと以外、俺は俺だ。じゃあ何をしようか、と思った所で急に背後から何かに飛びつかれた。
 セカンドの頃の俺は相変わらずきらきらした目で俺を見上げて来る。強くなりたい、体を鍛えたい、そんな理由で俺の体に手を伸ばした作り物の自分に悪い気はしなかった。とはいえ、決していい気分だったわけでもない。正直言えば、そのあまりの真っ直ぐさに少し気後れしたのが本音ってやつだ。
 だけど、あんまりにもこっちを見る目が素直だったから、断る為の嘘がつけなかった。
「うわ、ここすげえ硬い……ここも」
 無邪気に自分の体を撫で繰り回される事に、少しずつ羞恥心が沸き始める。決してそんなんじゃないってわかっているのに、なんなんだろう。触れたり抑えたりを繰り返して、ゆるゆるとずり上げられて行くニット。その手をぼんやり見下ろしながら、だんだんおかしな気分になって行くのを必死で誤魔化した。
「おい、もういいだろ。変態かよ」
「んー……あ、顔赤いぜ?」
「うるせぇな、もう離れろよ……っ」
「照れてんの? ファーストなのに? ……じゃあここは?」
 ゆるゆると皮膚に触れるだけだった指が、急に胸の辺りを抓る。反射的にビクついた体からその手を遠ざけたくて、体を支えていた両腕が宙に浮いた瞬間勢いよく両肩を押さえつけられた。
「へへ、マウントポジション!」
「わかった! わかったから離れろって!」
「……やだ」
目の奥がギラリと光った過去の自分は、まるで自分だとは思えない程ずる賢い顔で笑う。犬歯をちらりと見せ、両肩に置いた手でそのまま俺ごと地面に倒れ込む。腹の上に跨られ、なぜかめくり上げられたニットをさらに押し上げられ、折り重なるようにして体の上に寝そべられた状況にわけがわからないまま心拍が上がる。
 相手は完全に油断してるぞ、今なら振り払って起き上がれる。
 出来る。出来なきゃいけない。だけど。
「はー……やっと会えた……」
 跳ねのけようと伸ばした腕が、確実に意識を持ってその体を抱き寄せてしまった。
「なあ、あんたも俺に会いたかった?」
「うーん……わからん」
 会いたかったって言ってくれよ、なんて言いながら頬に触れる。自分自身なのに自分じゃない不思議な存在、傷跡に触れるその指先は、冷たいようで温かい。なんとも言えない感覚でじんわりと侵食されるような気になったのは、俺自身もまたデータだからだろうか。思わず目をそっと閉じて息を吐こうとした瞬間――
「……っおい、何すんだよ!」
 唇に温かい感触が走る。慌てて体を突き放すと、動揺した瞳と視線が合った。
「ごめん! なんか……したくなった……」
「はあぁ⁉」
まさかキスされるだなんて思ってもなかった。予想外の中でも一番予想外の行動、あまりの衝撃に、柔らかく触れられた唇を勢いよく擦り上げる。
「お、おま……お前……っ」
「うーん……もう一回!」
「バカ! 場の雰囲気に流されてんじゃねー……っ」
 こっちの話を聞かないあたりが、本当に昔の自分で腹立たしい。思わず閉じた瞼の裏側が真っ白になる感覚。一体何が起きてるのかわからないままもう一度唇を押し付けられ、ニットの内側にぞわぞわした感覚が走る。
 落ち着け、取り乱すな、俺はソルジャー・クラス・ファーストだ。
 こんな程度で慌て ふためくようには作られてない。
「……好き」
「はぁ⁉」
「オレ、あんたの事すげぇ好き。かっこいい」
 耳元で囁かれたって困る。ベルトに手を掛けるな。慌ててその手を抑えようとして、自分はこの後どう行動すればいいか考える。受け入れるって選択肢はない、だけど、だけど――
「なあ、続きしていい⁉ お願い、この通りだ!」
 自分のその目が、相手にどういう作用をもたらすか知ってる。知ってただけに慌てて首を振る。焦りで目が痛い。喉が渇く。自分の押しの強さと押される弱さがぶつかったらどうなるかなんて、考えたこともなかった。
 恐る恐る近づけられた唇が触れる。怖くなんてないのに閉じた目に力が入る。俺を見上げる様に掬い上げられた舌先と、啄むような仕草に少し腹が立 つ。
「……それっぽい事すんの、やめてくんない……?」
「お、オレだって頑張ってんだよ! いいから、目閉じてて」
 言われた通りにもう一度目を伏せる。どうしても体中に力が入ってしまい、なんで緊張してるんだと自分で自分がおかしくなった。気づかれない程度にふと目を開けた先では、数年前の自分がもじもじと視線を漂わせていた。
(ああそうそう、肝心な時に押せないんだよな、俺)
 何をされているかわかってる。拒否しようとすれば出来るさ。だけどなんとなくそうしないのは、そうだ。
 正直、嫌な気分じゃないからだ。
「なんだよ、襲っといて今更照れてんの?」
「わ、悪いかよ……」
「……はぁ」
 深い深いため息を吐く。それと同時に押し倒されたままの体を起こす。過去の俺の重さなんて何の問題もないまま一緒に起こし、後頭部に手を回す。一瞬びくりと震えたように見えたけど、その目はまっすぐこっちを見つめたまま。ソルジャーの証だと言い張り続けていたそれに見つめられるのは、うん、確かに妙な気持ちになる。
「な、なに……」
「目ぇ閉じてろよ。言い出しっぺが逃げるんじゃねえぞ」
 そのまま頭を引き寄せる。わざとらしく口を開けて唇に噛みついてやれば、応える様に縋りつく。
「う……んっ」
 たくし上げられたニットから腕を抜き、同じように紫色のそれに手を入れる。一瞬唇が離れた瞬間ほぼ同じ仕草で揃って脱ぎ捨て、もう一度目を閉じ る。音もなく捨て置かれたニットを横目で確認しながらも、頭の中は驚く程冷静だ。 眉間にしわを寄せ、俺を欲しがる舌先を受け入れる。あまりにも必死な過去の自分が、不覚にも可愛いと思ってしまった。
「ふぁ、あ……すっげぇキス……」
「いちいち口に出すな! 恥ずかしくないのかよ!」
「だって、俺こんな事すんの初めてだし……」
 そりゃそうだろう、と思う。俺だってそうだ。
 なんでこうなった、とも思う。流されたんじゃない、受け入れただけだ。
「……続きするんだろ」
「う、うん!」
 子犬だなんて呼ばれて受け入れていた自分が、絵に描いたように尻尾を振ってじゃれついて来る。強く抱きつかれて、するすると肌の上を手で撫でられて、つい受け入れた。それでも押し付けてくる下半身に触れるのはさすがに気が引ける。続きをこっちから促したものの、どうすりゃいいんだ。男なんて抱いた事はない。ないけど。
「うぅ……っ」
 そんな顔で迫られたら、逃げるわけにはいかないじゃん。
 俺だって別に、こういう事嫌いなわけじゃないし。
「ベルト外せよ」
「うぅ……っ」
 脱げと促せば素直に衣服に手を掛ける。慌てて外したそれを放り投げ、下半身を膝立ちになって突き出された。あまりの素直さに吹き出しそうになりながらそっとそこに触れると、ひくんと揺れる。
「はぁ、っ、うぅ、うーっ!」
「お、落ち着けって、ちゃんと触っ……っんん!」
 話しているのを完全に無視したクソガキが、口の中へ無理矢理突き入れて来る。咄嗟の出来事に完全に気を抜いていた喉の奥に、最悪な感覚が走る。慌てて引きはがそうと太腿を押し退けるより先に、後頭部をひっつかまれた。
「うあ……あったかい……っ」
「う……っん、んんっ、んーっ!」
 両腕で押さえつけられた頭を無理矢理揺さぶられ、口内でされるがまま前後に扱く。勝手にじわじわあふれる唾液。喉の奥を突き上げられる初めての感覚に込み上げる嘔吐感。素直にえずいてしまえば楽になれるはずなのに、それが出来ない。苦しい。不味い。辛い――
「はぁっ、あぅ、うう」
 頭を掴まれたせいで前傾になった体をぐいぐいを引き寄せられる。辛くて逃げ出したいのに、喉の奥を無茶苦茶に侵される感覚。必死で手に力を込めてみても、こんな中途半端な体勢じゃうまく力が伝わらない。
 いっそ噛み千切ってやろうかと思ったけど、自分のものがそうなったら思うと沸く恐怖心。唇からあふれ出た唾液が顎元を伝う。頭上から降って来る馬鹿みたいな喘ぎ声。
 やばい、頭がおかしくなりそうだ。
「ふ、うぐ……っ、おぇ……っ」
「はぁっ、はぁ……っ、へへ……」
 勢いよく引き抜かれた口元から液体がだらだらとこぼれ落ちる。脱力しそうになって、両手で何とか体を支えた。腹が立って睨み上げると、一丁前の顔で見下ろして笑う過去の俺。口の片端を釣り上げて笑うその表情に、腰のあたりがぞくりと震える。
 それじゃあまるで、獲物を狩る生き物の目じゃねえか。
 獲物って誰だ。俺か? 
 いやいや、それだけは勘弁してくれ。
 悔しくなって起き上がる。起こした体に一歩近づかれて、もう一度顔を上げる。荒く息を吐いた過去の自分が腰を落とし、真正面で目が合った。
「あのさ……入れたい。下、脱いで」
「……は?」
「ここまでしといて終わりとかナシだろ?」
「……え?」
 何を言われているのか理解できなくて、思わず目を見開いた。上がった息を隠そうともしないまま両肩に手を置かれ、押し倒される。突拍子もない言葉に一瞬気を抜いたスキを突かれて、されるがまま倒れ込む。
 なんで? どういう事だ?
「ちょっ、おい、待て!」
「待てないっ!」
 そんなに真っ直ぐな目で見るんじゃねえ。鼻先を近づけて来るな。ああだめだ、今にも睫毛の先まで触れそうな距離。人間ってのはどうしてこう、こういう時に目を閉じてしまうんだ。ふざけんな。なんで、なんで――
「なんで俺がそっちなんだよ! いてっ、おい、噛むな!」
 首筋に噛みつかれながら、肩に食い込んだ指先に気を向ける。馬乗りになったまま覆いかぶさって来る過去の自分に頭が追い付かないまま、痛みに息が上がる。
「うぅー……」
 耳のすぐそばで鳴る、まるで犬みたいな唸り声。ふうふう言いながら皮膚に爪を立てられて、思うように体を跳ねのけられない。
 ソルジャーになりたてだった頃の自分が、俺の事を好きなのはわかる。俺だってクソガキの頃の自分を否定する気はさらさらない。こんなにストレートに愛情をぶつけられたことには多少戸惑ったけど、決して嫌なわけじゃないさ。
 だけど、一つだけどうしてもわからない、納得いかない、許せない。
「続きするって言ったじゃん!」
「それはいい、いや良くないけど……いや、だから、なんで俺がこっちなんだよ!」
「えっ……だって痛いって聞くし……オレ、痛いの嫌だし」
 目を点にしてそんな事をサラッと言い退けるソルジャー・クラス・セカンドに、呆れて次の言葉が出なくなる。
「な、なんだよその理屈……」
 必死で絞り出した声が震える。
 だめ? だなんて首をかしげながら眉尻を下げるな。
 全部わかる。そんなの知ってる。俺がその仕草でどれだけの大人を納得させてきたと思ってるんだ。ポーションは一日一個だって言うおねーさんも、支給品は一人一つだって言うカンセルも、みんなみんなそうやってお願いして、それで――
「だってほら、あんただって」
「うわっ」
 引っ掴まれた手で自分のものを握らされる。硬く、ズボンの布をしっかり押し上げるそれに触れたと同時に上ずった声が出る。自分のものを触ったところでどうってことないとわかっているのに、まるで自分のものじゃない感覚。 いや、そうじゃないけど、目の前にいるのは自分で、でも今俺が触れているのも自分自身。
 どういうことだ。わけがわからん。
 頭がこんがらがって来てんだ。どうすりゃいいんだ。
 このまま黙って抱かれる方がいいのか? いや、そんなはずは ――。
 押し付けられた愛情と、膨れ上がった欲に体が熱くなる。首筋に這わされた舌先で無意識に体が震える。肩をすくめてきつく目を閉じると、頭上から嬉しそうな笑い声が降った。
「は……っ、ちょっ……待てって」
「待てないって言ったじゃん」
 胸のあたり触れられて体に力が入る。揉みしだかれているのはただの筋肉だ。ピンと張った薄茶色の辺りには目もくれず、その周りだけをしつこく手が這いまわる。痛くもかゆくもない、だけどなんだかくすぐったいような、妙な感覚に陥った。
「はー……硬い……すげぇ鍛えてる……」
 咄嗟にその手を払いのけようとしたところで掴まれ、床に押し付けられる。ぱちぱちと飛ぶデータの破片が浮かんでは消えて行く。疑似的に作られた体に触れられる感覚もきっと、そんなもんだと思う。思ってた。だけど、心臓の辺りへ確実にその刺激が走り、息を吸って、恐る恐る吐く。
 妙な気分だ。変な感じだ。むくむく勃ち上がった自分の下半身に気づかないフリをしながら、今触ったら気持ちいいだろうなとも思う。
「気持ちいい?」
「べ、つに……っ」
「おっかしいな、オレはすげぇ気持ちいいのに……」 
 ぶつぶつ呟きながら体の表面をまさぐられ続ける感覚。
 跳ねそうになる体を自意識で無理矢理押さえつけながら、次はどこに触れられるのかと身構える。
「じゃあ、ここは?」
「うわっ! おい、どこ触っ、わぁっ」
「だって、こんなにぴんぴんだ」
 お飾り程度についている突起を指の腹でぐりぐり抑えられ、抓られて引っ張られる。そんなところ自分でも真剣に弄った事のない場所だ。そこは男じゃなくて、どちらかというと――
「うぉ、おい……っ、うぁ、あ」
 舌先でつつかれ、そのまま口に含まれる。反射で出た自分の声はあまりにも間抜けで情けない。悔しくなって手の甲で口元を隠してみたけれど、柔らかく甘噛みされ、もう片方をいじられ始めてしまった。
「う……っ、うぅ」
「んー?」
 唇で尖りの先を押し潰し、上目でこっちを見て来る過去の俺。これ見よがしに赤い舌をちろちろさせながら、片手はぎこちなく脇腹の辺りを撫で降りる。きつく吸われた部分はどうなってんだろう、伸びちゃったりしないだろうか。
「うぅ……っく、んーっ!」
「……ふぅ」
 ため息と共に唇が離れる。蕩けた青色の目に捉えられる。ばっちり目が合ったままもう一度唇同士を重ねられて、目を閉じる。唇をこじ開けて侵入してくる舌は熱くて、ああ、とろけそうだと思った。
 データなのにおかしいな、触れられるのが気持ちいい。
 作り物なのに不思議だ、好意をぶつけられるのは心地いい。
 こんなに気の許せる感覚は久々だ。そう思うと自然と体に入った力が抜け始める。受け入れちゃえばいいじゃん、なんて自分に言うのはおかしいけど、今はそれでもいいや。
「続き、していい?」
「……優しくしろよ」
 喉の奥で押し殺したように笑われて、同じ仕草を返す。伸びて来る手と降る声の全部を受け入れる覚悟。腹を括ってしまえばもう、自分の存在がどれほどいい加減なものかなんて後回しだ。

     *

「うぅ……」
 触れられた瞬間こそ抵抗はあったものの、強引に中を探られ始めたらその気さえなくなった。自分でも触った事のない場所をこじ開けられる恥ずかしさったらない。だけど、はぁはぁ息を切らしながら一生懸命俺の内側を開こうとするその必死さを眺めているのは、悪い気分じゃない。
「狭い……こんなとこ本当に入んのかな……」
「いっ……お、お前が入れたいって、言ったんだろ……っうぁ」
「ここ?」
「ふっ、うぅ……聞くな……!」
 デリカシーも何もあったもんじゃない素直な問いかけに、苦し紛れの返答。痛いような気持ち悪いような、妙な感覚に上ずった声が出る。
「でも、あったかい」
「だから……」
「はっ、あぁ……もう、入る?」
 まだ何もしていないって言うのに荒く息を吐きながら、勃ち上がったものを入り口に当てがわれる。もう一度言うけど、俺は何もしていない。なのに、 皮膚に触れただけでとろとろと先走りが垂れているのがわかってしまった。その先っちょがぬるりと触れた瞬間、全身に寒気が走り、足指の先に力が入った。
「なあ力抜けよ、入んないじゃない」
「んなこと言ったって……っうぁ、あ、痛……っ!」
 どう考えたって入りそうにない。肌と粘膜の境目からみしみしと音がしそうな痛み。握りしめた指先が地面を掴もうとしたけれど、硬いタイルの上では、思うように痛みの逃がし先さえ見つからない。
「入んないって……っ」
「痛ぇ! っちょ……」
「ちょっ……と、力抜いてて……っ!」
「いっ、あ、あぁっ!」
「っふぁ、ああっ、入った、入った……あ」
 折り曲げた膝に、過去の俺の爪が食い込む。
 痛い。体の内側も痛い。
 入ったって言いながら震える体と、泣き出しそうに下がる目尻。そんな顔で興奮すんな、俺はお前よりずっと辛いんだ。
「うぐ、う、あ……あっ」
「うあぁ、きつ、キツい、すっげえ狭い……っ!」
 息の仕方を忘れそうになる。変な声が喉の奥で堪えきれない。馬鹿みたいに蕩けた声で自分の感覚を口に出すセカンドの頃の自分に、だんだん腹が立ち始めた。
「おいフラフラすんな、ちゃんと体固定し……」
「む、無理ぃぃ」
「お、あぁっ!」
 俺の言葉を遮るように一気に突き入れられ、体に電気が走る。
 きつく閉じた瞼の裏側に粒子の破片が飛ぶような感覚。
「あ……っく、うぅっ」
 歯を食い縛っているのに声が出る。肉の擦れる痛み。必死になって力の入った太腿のあたりがキュッとしなり、床を掻く爪の先ががりがりと削れるような気になった。
「ふぁ、ああっ、なあ、気持ちいい? 気持ち、いい?」
「ひぁ、っあ……っ、全然……っ、痛っ、あ、うぅっ!」
 中が熱いだとか、狭くて苦しいだとか、さんざん自分の言いたい事を口走りながらセカンドの自分が腰を動かし始める。滑りも悪く、緊張感から硬直する体の内側に悲鳴を上げそうになった。
 それでも唇を噛んで耐えている自分の滑稽さに一瞬正気を取り戻しそうになったけど、そんなのはすぐ、痛みと不快感に掻き消されてしまう。
「う、ん……っは……」
「ああ、すっげ……っ!」
「う、るせぇ……っ!」
 イライラしながら、流されそうになるのを堪える。
 流されたいと思いながら、まだ足りない何かに縋りたくなる。
 目も頬も真っ赤にしながら、ぐりぐりと追い上げて来る過去の自分自身に足を絡める。腰の辺りを引き寄せれば体ごとしな垂れ落ち、唇を重ねたかと思えば舌が入り込む。必死に伸びて来る濡れたざらざら、それに応えるようにしてこっちからも舌を絡ませれば、どちらのものともわからない唾液が口元を伝っては糸を引く。
「っはぁ……は……あっ」
 その必死な顔がかわいいと思った。ムキになって俺を追い詰めて来る一途さに応えたいと思った。それとは別に、その顔と体を煽ってやりたい衝動。わざとらしく唇を汚した透明を舐めとると、反撃するように腰を打ち付けられる。
「は……うぅ……っぐ、ぅ」
「声、もっと、聞かせて……!」
「それ、は、無理……っんぁ」
 痛みの先にあるらしい快感なんて掴めそうにない。気を散らすにも目の前には今にも泣き出しそうな顔。
 バカだなあと思いながらも、俺はその顔を知っている。
 届きたくて伸ばした手が何度も宙を掻いて、何も掴めないままだった自分。耐えきれずに嗚咽したいつかの夕暮れ。解け始めた雪で足の先から冷えて行く感情。誰もいなくなった深夜のソルジャーフロア。夢を持てと笑った顔に、うまく笑い返せなかった時の自分が今、目の前で同じような顔をする。
(ああ、そうか)
 これは全部、俺の感情なんだ。
 切り捨てて、無くしたフリをしてきた自分の感情。
 ファーストに昇格したと同時に抱えたもやもやした何かをまだ知らない自分の塊だ。そんなのに手を引かれて、抱かれて、見えるものがもしもあるのなら掴みたい。こんなのバカげてるってどこかの誰かが笑うか? 笑いたきゃ笑えばいい。
「っふ、う、あぁっ……」
「なぁ、もっと声出せよ、もっと!」
 張り裂けそうなのは体だけじゃない。乾いているのは喉だけじゃない。うまく出せないのは声だけじゃない、腹の内側に隠したのはそれだけじゃない。 忘れたわけでもなければ捨てたでもなくて、俺は、そうだ。
「誰も……誰も、聞かなかった……から、あぅ、あ、っあぁっ!」
「聞かせてくれよ! もっと……っ」
 誰にも言わなかったんじゃない。隠したつもりなんてない。喉のすぐそこまで出かかった言葉がある。
 何度も何度も飲み込んだ。
 吐き出す寸前で喉がつ かえて言葉以外の物を吐いた。
 背中にかかる重みと、体の内側を擦り上げる苦痛。それがいつか普通になって、痛みなんて無くなって、そこに楽しみを見出せればいいと思ってた。そんなの無理だってわかってたじゃねえか。
 その結果がこれだ。誰も救えない? 誰も助けられない? 
 当然だ、俺は―― 簡単な言葉一つ、口に出してこなかった。
「オレは、あんたのこと……っ、好きなんだよ! ソルジャー……クラス、ファースト……ザックス!」
「――っ!」
 強引に体を抱き寄せられ、体の中に何かがあふれる感覚。過去の自分が一瞬苦しそうに息を止め、それから一度だけぶるりと体を震わせる。どくどくあふれる感覚で苦しくなって、同じように抱き返す。
「うぁ……ごめん、一番かっこいいとこで……」
「……あー……うん……」
 馬鹿みたいだ。過去の自分と体を重ねて、わけがわからないまま体をこじ開けられて、名前を呼ばれたところで我に返った瞬間ぶちまけられた体液で体を震わせる。俺の押し殺した声を吐き出させようとした過去の自分に、内心を開示させられそうになったところで、こんな。
「……お前……無茶苦茶すぎるぞ……」
「はぁっ、は……あぁ、うん……よく、言われる」
「……はは」
 こんなのただの笑い話じゃないか。
 こんなのありえない話じゃないか。
 自分自身に好きだなんて言われて、体を全部投げ出して、今なら言ってもいいかだなんて思ってしまった。
 ずるりと引き抜かれたそこから生暖かい液体が漏れる。電子の海に残されたその痕跡は、なぜか消えずにまだ残っている。これだって作り物の体から出されたものだ。そのうちきっと、消えてしまうんだ。
「なあ、聞かせて。あんたの声」
「俺は何も……」
「じゃなきゃもう一回抱くぞ」
「勘弁してくれ!」
 間髪入れずの即答。それから、額をくっつけて笑う。
 データの存在だってわかっていても、触れた一点だけはちゃんと温かい。
「聞かせてくれ」
「わ、笑うなよ……うーん……て、くれ」
 聞こえないと荒げた声は、怒ったようなやわらかいような、不思議な声。
 その声と動きに合わせて、ぱちぱちと崩れては再結集する電子の端切れ。
「誰にも聞こえないんだから安心しろよ。オレはあんたたぜ?」
「……確かに」
 ここまでされなきゃ出せなかった自分の声。他の誰にも聞いてもらえなかった言葉。
 こいつになら吐いてもいいだろうか。ちゃんと聞いてもらえるだろうか。
――大丈夫、俺はオレだ。他の誰が聞かなくたって、自分自身が覚えていられればそれでいい。
「頑張ってんだからさ」
「うん」
「……一回だけでいいから」
「……うん」
「その……褒めてくんない?」
 押し殺し続けていた言葉を吐いた瞬間、目の前にいるセカンドの目がぱぁっと広がった。キラキラと光る空色の目に光が反射して、まるで晴天の下にいるような気分になる。行き止まりも空もない人工的な空間でさえ濁らない、魔晄の瞳。突然頭に手を置かれ、乱暴に搔き乱された所でやっと大声で笑えた。

     *

「なあ、もう一回」
「嫌だ」
「だってあんたイッてないだろー? 不完全燃焼じゃない?」
 今なら最後までサービスするぜとまで言ってるのに、難しい顔でそれを否定する。こっちに背中を向け、そそくさと服を着こんだ未来のオレ。ズボンに 足を通し、立ち上がったところで一瞬足がふらついた。
「あ、気をつけなきゃダメだぞ! どこかに傷が出来たら大変なんだから」
 誰のせいで! なんて振り返られたところで、その声に怖さなんて感じない。
 どことなく疲れて、少し面倒くさそうで、だけど相変わらず芯の通った良 い声だ。
 俺の憧れの存在。強くてデカくてかっこいい、クラス・ファーストのオレ。触れたかった。触れられた。一度そういう風になってしまえば、その強さを知ることが出来るって思ったんだ。
(うーん、でも)
 まだ足りない。もっと欲しい。あのオレの強さをもっと吸収したい。だっていつ破損するかわからないじゃないか。もしかしたら、一分後に壊れて消えてしまうかもしれない。だから急いだんだ。
 所詮は実験の為に作られたデータだ。ソルジャーの強化を目的に作られた人工品だ。体の内側に何度も改良を重ねて、どんどんその強さを吸収できるようになった。
 色んな奴と戦えるのは楽しかった。自分が憧れ続けたもう一人のオレに会えたのは嬉しかった。データを取り込むことで自分が強くなれるはずだった。
 だけど、今はまだ無理っぽい。
 今のオレじゃあきっと勝てない。多分、自分が取り込まれて消えてしまう。
 それは、すこしだけ。
「――やだな」
「ん? 何が?」
「……いや、こっちの話。それよりもう一回どう?」
「勘弁してくれ!」
 肩に手を置こうとした瞬間、ひらりと躱されてその背中は走り出す。
 慌てて追いかけた先に手を伸ばして、それからやめる。
 そう、それだから好きなんだ。どこに向かってたって、ずっと一人だったって、オレはきっと足を止めたりしないんだ。
 下ろした手が太腿を叩き、パチンと音が鳴る。
 その背中はどんどん遠くに小さくなっていって、それから憧れは――光の粒になって、消えた。








fin